大塚啓三郎 おおつかけいざぶろう

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鶴田 純久の章 お話

下野国(栃木県)益子焼の祖。
十六、七歳の頃笠間(茨城県笠間市)の宝田院で書法を学んだが、住職が笠間侯の御用窯に関係があったので陶業の有利なのを知り、その後大塚氏の養子になってから自分で開業することを企て、養父から三十両の資本金を得て山前村大字祖道土(真岡市)から陶工を雇い、さらに相馬焼の工人も招いたが、資金がなくなったので宝田院から五十両を借り受けて陶業を継続しました。
1853、四年(嘉永六、七)頃であるといいます。
(『北村弥一郎窯業全集』)※ましこやき

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