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鶴田 純久の章 お話

尾張赤津の陶工加藤作兵衛景清。
1808年(文化五)に生まれ、父の家を継ぎ名を作助と改めました。
古法に倣い茶器または酒器をつくって高尚雅致の称がありました。
晩年は寿斎と号し、1893年(明治二六)11月没、八十六歳。
子もまた作助と称したので初代作助といいます。
(『をはりの花』)

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