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鶴田 純久の章 お話

尾張赤津の陶工加藤利右衛門景貞。
のちに唐三郎と改名。
父の業を継ぎ赤津村(愛知県瀬戸市赤津町)に住みましたが、1608年(慶長一三)美濃国土岐郡水上村字郷之木(岐阜県土岐市曾木町)に移り陶業に従事、1610年(同一五)国守義直に召還され以来赤津において尾張家の御用を勤めました。
この時唐の一字を受領し通称を唐三郎と改め、屋敷と窯場を除地され続いて苗字帯刀を許されて御窯屋と称しました。
(『をはりの花』)

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