加藤友太郎 かとうともたろう

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鶴田 純久の章 お話

明治期の実技家でまた友玉園の経営者。
号陶寿。
尾張瀬戸の陶家加藤与八の二男。
1851年(嘉永四)9月生まれ。
1874年(明治七)上京して井上良斎の陶場に入り、次いで石膏型伝習生として勧業寮試験所に入所、1877年(同一〇)2月研究の業を終えました。
のち瀬戸陶工のために秘密にその技術を伝習しようとしたが果たしませんでした。
そして江戸川製陶所の工長を勤めましたが、1882年(同一五)牛込区新小川町(新宿区)に陶工場を起こして友玉園と称し、のち向島(墨田区)さらに大崎(品川区)へ移りました。
友太郎は元来実技一方の経験者でありましたが、若年よりワグネル・中沢・高山・北村・平野らの技術家と接近し、窯業上の発明・発見も少なくなく、特に本窯色彩の研究は1883年(同一六)当時より着手して白象嵌・紫色・黄色・赤色などに相次いで成功。
うち赤色は「陶寿紅」と称され最も有名なもので、1899年に発明を完成したものです。
また内外の博覧会や共進会に出品して受賞することも多く、金銀銅賞牌六十七個、銀盃二十一個、木盃その他名誉賞状などは数知れないといいます。
1916年(大正五)2月27日没、六十六歳。
(塩田力蔵)

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