棺として使用した土器。
先史時代以来世界各地にみられます。
わが国の先史時代についてみますと、弥生式時代に北九州地方では成人の埋葬用に高さIメートル前後の甕を棺として製作し使用しました。
棺には一個を用いる場合と、大小、あるいは同じ大きさの二個の口を合わせて用いる場合とがあります。
口を合わせた部分に粘土を巻き付けて目張りしたもの、丹で棺の内外を赤く塗ったものなどもあります。
墓穴は斜めにあけていることが多いですので、まず下甕を置き、遺体を収納してから上甕をかぶせたものらしいです。
弥生式時代の成人用甕棺が中国・朝鮮からの影響化に生まれたものかどうかは解明されていないようです。
なお朝鮮南部の金海貝塚では、弥生式前期の終わりの甕棺が発見されています。
弥生式時代には中部地方で胎児骨を土偶状の容器に納めた実例かおります。
しかしこれは特例であって、胎児・幼児を埋葬するためには普通の日常容器、特に壺を転用して用いた場合が多いようです。
北九州の甕棺が住居から離れた墓地に埋められているのに対して、これら幼児用の壺棺は住居近くに埋められていることも多いようです。
なお縄文式時代には前期以来各地で深鉢がやはり胎児・幼児用の棺に転用されています。
どれら壺棺・甕棺には埋葬した際に最も下に位置する個所に穿孔をみるものが多いようです。
排水・防湿を目的としたものらしいです。
なお関東地方では、弥生式時代中期に壺や甕を成人の再葬用に用いました。
死体を土葬などによって一度埋葬し、白骨化するのを待って土器に収納してもう一度埋葬したものであります。
これらの土器には日常容器のほかに、顔面の表現をもち、埋葬用に特別に製作した可能性をもつものもあります。
これらの土器は容骨土器と呼ばれています。
これらはむしろ棺というより骨壺・納骨器として扱うべきであるでしょう。
この他東北地方の後期縄文式土器にも再葬に用いた土器があります。
古墳時代後期に棺としてつくった土製品は陶棺と呼んでいます。