高さ:7.7~8.7cm
口径:13.2~13.5cm
高台外径:7.0cm
同高さ:1.0cm
「さざ波」と同様、高根東窯の産と思われる茶碗です。
高根には窯跡が三つあって、西に一つ離れている窯は、例の有名な赤志野、石竹の鉦鉢を焼いた窯です。これほど良い発色の赤志野は、他の窯跡から出ていません。これに対して、二つ接している東の窯は変わった窯で、非常に優秀な作品とつまらぬものが、同時に出土します。練り上げ手のいいものがたくさん造られており、美濃唐津の絵唐津と見まちがえるような作や、志野に胆磐をうった珍しいものも出てきます。藤田美術館の「朝陽」なども、あるいはこの窯で出来たものかもしれません。だれか、とくに指導した人がいたのではないかと想像されます。
鼠志野は、白い素地に鬼板(自然の酸化鉄)を溶かした泥で化粧をし、その上から志野釉をかけたものです。鬼板の濃淡、釉薬の加減、またその窯によって色が鼠色になったり、赤くなったり、いろいろ変化します。鬼板で化粧してから模様を掻き落とし、その上から志野釉をほどこしますと、掻き落としたところが白く象眼したように見えます。
この茶碗も外側に三段、内側に四段、檜垣紋様をめぐらしています。これは明らかに高麗茶碗の彫三島茶碗をモデルにしたものでしょう。
一般に彫三島茶碗は、高麗茶碗のうちでも比較的後期のものに考えられていますが、その製作年代など、そのへんの問題はどういうことになるのでしょうか。彫三島を摸したとはいえ、姿はあくまで志野独自の形態をとっているのは興味深いです。
志野の茶碗は、たとえば高麗茶碗のように、数多く出来たものの中から茶人が選び出し、茶碗に採りあげたものとは性質を異にしています。形も、模様も、十分に計算された上で作られたものです。
成形も、全部轆轤(ろくろ)で引いて削ったものや、水引きだけ轆轤(ろくろ)で行ない、仕上げは轆轤(ろくろ)のままで削らず、底裏だけ手造りふうに削っているものもあります。この茶碗なども、高台内外の削りや高台わきから腰のあたりの箆使いが、あくまで手造りふうにどっしりとした、志野独特の手強い姿にしています。発色も、鼠色に鉄鋳び色が浮き出し、微妙な色彩の変化をみせます。この深昧のある赤の色と檜垣紋との交錯を、紅葉で有名な東福寺通天橋の景に見立てて、「通天」の銘をつけたものでしょう。
内箱蓋表に、金粉字形で「通天」とあります。筆者ならびに伝来は不詳。
(荒川豊蔵)