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鶴田 純久の章 お話

朝鮮人。姓は達、名は越。朝鮮咸鏡北道吉州の刺史達賢の子。1587年(天正一五)海難に遭って筑前国黒崎(福岡県粕屋郡志賀町勝馬)に漂着した。1591年(天正一九)肥前鍋島家に引き取られ、文禄の役の際にはその地理案内および通訳の任に当てられた。出征中彼の地の陶工を斡旋仲介して藩主直茂に従い帰化させた。その委細は宗歓の子孫で佐賀唐人町の荒物商川崎四郎が1840年(天保一一)六月に提出した由緒書に明らかであります。(寺内信一)

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