島根県八束郡玉湯町布志名の産。その起原については諸説があり、1658年(万治元)加田半六が創始したという説があるが、今日の製作からみると1764年(明和元)船木与治兵衛の創業説が妥当であろう。当時の製玄官法印造者は土屋善四郎で、その方法は倉崎権兵衛から相伝したという。寛政(1789~1801)以次々と開業する者があり、1790年(寛政二)沢嘉介秀勝が業を始め、1793年(同五)土屋善四郎が新たに窯を起こし、1800年(同一二)沢藤右衛門義直、降って1802年(享和二)永原与蔵、文化(1804~18)より文久(1861~14)の間に船木九蔵・福島幸助・船木平兵衛・福島又兵衛らが開業した。製品は初め非常に粗悪な陶器であったが、文政(1818~130)の頃よりやや改良され、天保(1830~144)になって製法はだんだん進歩し、黄釉・白釉・青釉・錦模様などのものを出した。1877年(明治一〇)工商会社と特約を結ぶと生産が盛んになり、1880年(同一三)業者が一致して島根陶器製造会社若山会社ともいう)を組織したが、製品が粗雑で1883年(同一六)解散した。のち船木健右衛門らによって若山製陶舎が成立し、1887年(同二〇)玉造村大谷(玉湯町産の石を配し好原料を得、次いで釉裏彩画法を行なうようになって海外に輸出するまでに達した。なお布志名で陶器製造業者が居住し陶業を営む所は大字若山というので、布志名焼のことを一名若山焼ともいう。(『陶器考』『本朝陶器攷証』『大日本窯業協会雑誌』六七『工芸』三九)※ふなきよじべえじゃくさんじゃくさん