
明代。
名物裂。
京都嵯峨清涼寺釈迦堂の戸帳裂に使われたのでこの名がある。
紺の糯子地に金糸で雷紋菱地紋を織り出し、上紋として桐を配しているのが同寺に遺存している。
足利将軍家の寄進によるものであるが、一説義政(1436~190)が大内義隆 (1507~ー五一)に命じて明で織らせたと伝えるが、両者の生存年代が合わないから大内政弘(1446~195)であろう。
なおこの桐紋は上部の中央の花が十一で、両側が変則の八になっている。
葉もまた縦長で紋全体の姿に特徴があり、これを一般に嵯峨桐と呼んでいる。
この裂は地紋はないが、まったく同一形式の裂で五七の桐の金襴で、地色は濃緑色の糯子地である。
【所蔵】東京国立博物館



