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相良間道 さがらかんとう

相良間道
相良間道

明代。
名物裂。
相良氏は肥後人吉城主で、源頼朝から肥後球磨郡地頭職を給わった名族で、『相良家文書』には宗祇の書状が多くみられ、名物茶器も伝来したようである。
相良間道は同家城主遺愛の裂地であったのであろう。
桃山末期から江戸初期に、薩摩間道・宮内間道とともに、東南アジアから渡来したものと思われる。
黄と薄青の太縞には梅鉢紋を、赤と白の太縞には浮織の唐花紋と入子菱紋を交互につなぎ、それぞれの太縞の間を白・青・黄などの細縞が十二、三本を一組として区切っている。
類裂が多く臙脂色を主調とした裂と薄萌黄色の裂などがあり、いずれも平織である。

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