中峰明本 善厳の偈 ちゅうほうみんぽん ぜんげんのげ

中峰明本 善厳の偈
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鶴田 純久の章 お話

元代の代表的な禅僧で、日本からの留学僧とも交渉の深かった中峰明本が、善厳という人のために、「善厳」という二字の意味を五言四句に頌じて説き、禅者としての心構えを諭した一軸で、「柳葉体」と称される彼独特の書風の最もよく出ているものの一つである。
「貧欲瞋恚・愚痴の三毒を綺麗に離却した心、すなわち善心を常に厳しく清浄に保ち、道眼を磨道力を養うことに努力精進するよう心がけ、思慮分別にわたってあれこれ小細工するようなことはやめなされ。そうすれば、おのずから期せずして迷いがなくなる」というのが大意。
起句に「善心厳浄」と善厳の二字を折り込んでいる。
中峰明本は浙江省銭塘の人で、その法系を略示すると、無準師範─雪巌祖欽―高峰原妙―中峰明本となる。
元の仁宗・英宗二帝の篤い帰依を受け、いくどか五山の住持になるよう勅命を受けたが固辞し、師高峰の跡を護って天目山に住し、また諸所に幻住庵を結んで閑居した。
しかし道誉すこぶる高く、その会下に集まる者多く、「文章の第一は宋景仏法の中興は本中峰」と称され、日本僧無隠元晦・古先印元らも彼に参じてその法を嗣いだ。
また趙子昂が中峰より10歳も年長であるのに弟子の礼をとり、両者親交を結んだことは有名な語りぐさである。
英宗の至治三年(1323)61歳で天目山に示寂した。
善厳なる人物についてはまったく不明。
【寸法】本紙縦29.6 横39.0
【所蔵】梅沢記念館

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