

立山の歌
略伝
雲州松江六世の城主、宗衍の次子、幼名鶴太郎、長じて治郷。佐渡守、出羽守に歴任し、未央庵・一閑子・一々斎・宗納の号がある。
17歳にして封を嗣ぎ、家老朝日丹後の後見で藩政を改革し、殖産工業、土木、治水、貿易の発展めざましく、巨万の富をなして名器を蒐集した。
最初三斎流志村三休、荒井一掌により茶に入り、次に三世伊佐幸琢につき石州流を究め、さらに一流派に偏するをきらって不昧流の一派をたてた。出入の道具商人を集めて名器を研究し、陶斎尚古老人の名で『古今名物類聚』十八冊の大著や『瀬戸陶器濫觴』 三巻をあらわして茶入の窯分けをした。文政元(1818)年四月二十四日
没、68歳。
茶杓
いま削りあがったばかりに真新しく反りなく、節突出し、節止に穴二つあって、おっとりはきわめて細い。
鴫立沢の歌
はるさと
中節を中心に黒い斑文あり、節は二段となって少々凹みがある。
浦苫屋の歌
さび竹で節きわめて高い。
筒
槇立山 草筒
「〆淋しさはそのいろとしもなかりけり まきたつ山の秋の夕くれ一々造之」
鴫立沢 草筒
「〆心なき身にもあわれはしられけり 鳴たつ沢の秋の夕くれ 宗納一々造之」
浦苫屋 草筒にて黒皮をのこす
「〆見わたせは花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕くれ不昧造之」
付属物
総箱杉白木書付 松平不昧筆 「三楽」
外箱 桐白木 書付 「不昧公三夕茶杓」
追記
晩年の円熟作で、保存いかにもよろしく、ほとんど使った跡がない。「棋立山」は寂蓮、「鴫立沢」は西行、「浦の苫屋」は定家、いわゆる三夕の歌であることはいうまでもない。
所載
茶杓三百選
寸法
槇立山
茶杓
長サ20.1cm
幅1.0cm
厚サ0.2―0.4cm
筒
長サ22.4cm
径2.8cm
鳴立沢
茶杓
長サ19.8cm
幅0.9cm
厚サ0.2―0.4cm
筒
長サ22.4cm
径2.5cm
浦苫屋
茶杓
長サ19.8cm
幅1.0cm
厚サ0.25―0.4cm
筒
長サ22.4cm
径2.5cm



