京焼。
鳳林和尚の記した『隔莫記』は、江戸初期の京焼の歴史を知るうえに欠かすことができませんが、その寛文四年(1664)の条に、修学院焼の名がみえています。
修学院焼は後水尾院が修学院離宮に御庭焼として築窯したもので、後水尾院は金森宗和の茶に傾倒していましたから、その好むところは当然、宗和-仁清という線につながっています。
後水尾院の弟・常修院宮、手の後西院、一乗院宮など、仁清陶の愛好者でした。
しかし現存する修学院焼け少なく、しかも無銘で、その判別はなかなかむずかしいです。
「後水尾院切形茶碗」などという箱書から、修学院焼であることが判明するのです。
《寸法》高さ6.7 口径21.3
《所蔵》滴翠美術館