塩田力蔵 しおだりきぞう

塩田力蔵
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話
塩田力蔵
塩田力蔵

1864年(元治元)9月8日、岩代国安達郡二本松(福島県二本松市)に生まれました。
同県師範学校(現福島大学)を卒業し小学校教員となり、1885年(明治一八)東京に出て学術雑誌記者をしたり、郷里に帰って窯を築いて失敗をしたこともありました。
1896年(同二九)から十年間、岡倉天心の秘書格として諸方面に活躍。
東京美術学校(現東京芸術大学)で陶工に関する講義を担当し、日本美術院の編集部を主宰し、日本絵画協会では天心の外遊中に副会頭事務を勤めました。
また1896、七年にわたって天心の援助のもとに各地の陶窯行脚を試みました。
1907年(同四〇)から大日本窯業協会の事業である『日本近世窯業史』編纂委員の主任幹事に推され、再び日本全国の陶窯地を実地調査してその執筆に当たること前後十年に及んです。
これは斯界空前の人著として世の賞賛を受けました。
他に『陶磁工芸の研究』『近代の陶磁器と窯業』『陶磁文明の本質』などの名著があります。
1946年2月3日、八十三歳で没しました。

前に戻る
Facebook
Twitter
Email