伊豆原麻谷 いずはらまこく

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

名古屋の画家。
字は大迂、通称橘造、初め松谷、のち麻谷と号しました。
三河国(愛知県)の人で十歳の時名古屋禅寺町の某院の小僧となりましたが、画を好みついに還俗して長崎に行き中国画を学んです。
三十歳で京都に行き、五十歳で名古屋に帰り花屋町に住んだが、画風が清閑で超然としているため一般には受けなかった。
また瀬戸に来て磁器(ある本には尾張瀬戸の磁祖加藤民吉の作品としている)に絵付をしたといわれています。
1860年(万延元)6月没、八十三歳。
(『汲古草稿』『瀬戸陶業史』『日本陶瓷史』)

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