曾根庄兵衛 そねしょうべえ

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

美濃国(岐阜県)恵那郡の製磁業の開祖。
1825年(文政八)に同郡猿爪村(瑞浪市陶町猿爪)に生まれました。
幼名仙松、のち庄兵衛と改め磁叟と号しました。
早くから公共のことに尽くしましたが、1861年(文久元)7月この地に初めて磁器窯を築き、土岐郡多治見(多治見市)から加藤源三郎を招いました。
しかし主要原料である蛙目を遠く妻木・下石(共に土岐市)などに仰ぎましたので、多額の運賃を要し収支がつぐなわれず、庄兵衛は苦労を重ねて、ついにこれを隣村原村(恵那市山岡町原)地内、さらに水上村(瑞浪市陶町水上)に発見しました。
これより次第に開業する者が現れましたが、当時は窯株の制度が厳重で土岐郡窯取締役からの圧迫がはなはだしく、よって明知陣屋の遠山安芸守に請願して御用窯の名称を得て継業しました。
1871年(明治四)にこの制が廃されて開窯者が続出し、今日の隆盛に至りました。
1889年(同二二)その功を永く伝えるために有志が紀功碑を建設しました。
1901年(同三四)緑授褒章を授与されました。
1904年(同三七)9月没、八十歳。
(『岐阜県産業史』『8本近世窯業史』『曾根磁叟園百年史』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email