難波焼 なにわやき

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

初め大阪高津(天王寺区)にあって高津焼と呼ばれ、のち難波・今宮などに移ったものです。
延宝年間(1673-81)に始まり茶碗・水指・建水・花生・卓香炉・土釜その他の赤楽焼を出し、黒谷山の土を用いました。
作風は高原焼同様高麗風で仁清の作風に似ているといいます。
「難波」の印があります。
(『万宝全書』『陶器考』『本朝陶器孜証』『日本近世窯業史』)

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