対馬国の陶器山の支配人。
対馬産の磁器の品質が粗悪なため、指導者として1827年(文政一〇)平戸領三川内(長崎県佐世保市三川内町)の陶工を雇い入れた際、小十郎はその統御者でありました。
三川内の磁業者はこれを好機として製品の朝鮮輸出を計画し(当時朝鮮輸出は北島家の手を経た有田磁器に限られていた)、小十郎が斡旋の衝に当たって、三川内磁器を対馬へ密送し対州磁器のように粧いさらに朝鮮へ輸出しました。
ところが対馬藩特派の釜請役人から製品は脆弱で使用に耐えないと返還されたため企画は水の泡となりました。
(『日本陶磁器史論』)