犬塚民蔵 いぬずかたみぞう

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鶴田 純久の章 お話

肥前有田白川の轆轤工。
1867年(慶応三)フランスのパリで大博覧会が開かれますと、鍋島藩は磁器による国産振興を図り、特に大器の製造を奨励しました。
民蔵は小山直次郎らと共に大器の底を突き固めて従来の底切れを改良し、轆轤の名人といわれました。
1885年(明治一八)7月没、五十七歳。
(寺内信一)

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