深草焼 ふかくさやき

marusankakusikaku
鶴田 純久
鶴田 純久

山城国深草(京都市伏見区)の産。
古く後烏羽天皇の元暦年間(1184-5)この地に土器窯があるようで、伏見天皇の正安年間こ二九九-1302)南禅寺の僧経正という者が製陶の技術に詳しく深草の瓦工にその法を授けたなどという記事にみられるように、この地には昔から窯業が行われていました。
また『本朝陶器孜証』に深草焼初発に関する調査として、伏見砂川九町目住焼塩屋権兵衛の旧蔵「就御尋口上書」なるものを記録しており、その文に先祖奥田氏(または平田氏)が伏見城御用として1593年(文禄二)播磨国(兵庫県)から伏見に来て、慶長年中(1596-1615)深草山之内のちの瓦町の地に居所を定め、焼塩ならびに花形塩や土細工の商いを続け、二代目権兵衛は1642年(寛永一九)さらに街道筋へ出て当宅に居住し、公方様御屠蘇の道具土器細工一式の御用を寛永年中(1624-44)より仰せ付かったとの旨が記されています。
しかしこの一条は伏見の雲形焼の伝系とよく似ており、おそらくは同一のものではないでしょうか。
また元和年間(1615-24)勉幸右衛門によって伏見人形が創製されますと、これが深草にも伝わり、その製作は一般に伏見人形として通っていました。
また一本には、利休時代この地に土風呂・火桶・手焙り、時には茶碗や小壺のようなものもつくられており、その器はいずれも雲花焼で、工人には与九郎・宗三郎らがいたとあります。
通常深草焼と称するのは時代を降ったもので、その製品は交趾焼に倣った土焼で押型模様を付け、必ず「ふかくさ」または「深草」の印かおります。
製作の年暦は明らかでないようです。
なお『半口閑話』に「深草焼本所みどり町伏見屋仙右衛門はじめて深草焼をひさぐ」とあるようで、参考のため掲げておく。
(『日本山海名物図会』『本朝陶器孜証』『陶器類集』『日本近世窯業史』『日本陶器全書』『日本陶甕史』)

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