高さ:7.9cm
口径:10.1~10.3cm
高台外径:5.6cm
同高さ:0.5cm
尾形乾山は、もとより書画においても、その名は一世に高いですが、作陶こそは、彼自らを「焼物商売」と称しているように、家職として終世心血を注いで、刻苦した道でした。乾山また、祖父宗柏。父宗謙の血を享けて、年少にして好学、ニ和漢の教養も深く積み、趣味も高邁でしたが、本阿弥光悦の血筋につながる彼としては、ことに光悦の芸術に、心酔すること深く、乾山芸術の理想は、まさにここに存したといわねばなりません。やがて、仁清について陶法を学ぶことしばし、作陶をもって立つべく決意して、鳴滝泉谷に開窯したのが元禄十二年、ときに乾山三十七歳の、すでに壮年でした。爾来、二条丁字屋町時代を経て、晩年は江戸に移って、この地に八十一歳で没しましたが、老来いよいよ気力盛んに、没年に至るまで作画作陶は衰えず、かえって、いうそうのごみずみずしさを加えています。
乾山の作陶は、いずれの時代として昏ならざるぱなけが、ことに発足早々の鳴滝時代においては、意気冲天の、壮年溌剌のおりとで、芸術的感興の躍如たるものを、見ることが多いです。この茶碗馴もその作ふうや銘態からみて、また鳴滝時代も、やがて陶ふう醇熟のころの作とみられますが、画賛の出来すこぶる上乗で、嵐ごとに乾山の我意を得たりと、得意満面の顔さえも、そぞろ目に浮かぶような清爽快適の好芸術です。
素地は、仁清も常用の、白めの黒谷上土で、端正な作りの半筒です。放胆に描かれた鋳画のやり梅は、光琳ふうながら豊潤を加えて、情趣味においてまさり、この種、乾山のやり梅の中でも、ことに白眉と称したいです。また賛の、
造化功成
秋兎毫
乾山省画
(「尚古」角印)
文字は、書を得意とする乾山書中でも、屈指め出来ばえで、しかも態の味わい深く、茶趣津々たるものがあります。単に乾山得意の、やり梅画題というだけでなく、その書画の意気合い、ぴったり吻合して、ことに油然たる情趣横溢して、至妙の境を造成している点において、乾山のやり梅多しといえども、かくも茶味満点の作は、未だ少なしといわねばならないでしょう。「省」は、乾山の名の深省の略、「尚古」は乾山の号、尚古斎で、尚古斎とは、元来鳴滝泉谷における房号ながら、爾来、他の時所でも使用されてはいますが、この場合は、そのまま鳴滝泉谷の証とみてよいです。口縁には縁紅施され、端正な高台内には、可憐な兜巾が品よく立っています。
付属物は、
内箱 桐白木
同 蓋表書き付け「梅之画 茶碗 紫翠老(乾山印)」
外箱 杉白木
同 蓋表書き付け「乾山 茶碗 梅之画」
伝来不詳。
(満岡忠成)
銹絵染付梅図茶碗
Kenzan: tea bowl with plum tree design, underglaze brown and blueMouth diameter 10.2cm Umezawa Kinen-kan Museum
高さ7.8cm 口径10.2cm 高台径5.3cm
梅沢記念館
乾山の茶碗には平凡な作行きの器形のものが多いです。胴に絵画や詩賛をあらわすことを主体にしていますので、このように単純な器形をとったのでしょう。半筒形の茶碗で高台は低く、内面見込みは緩やかなまるみをもたせているがほぼ平らです。胴には蕾を多くつけた老梅の図が力強い筆致で描かれ、枝先がのびていわゆる槍梅になっています。その絵付は勁くのびやかで、「滝山水図茶碗」 と双璧をなすものといえます。幹は銹絵、蕾は呉須であらわされ、背面には 「造化「功成兎」の詩賛が書され、「乾山省昼」 の落款を書し、方形内に「尚古」の書印があります。