1885年(明治一八)2月6日佐賀県西松浦郡有田町に生まれました。
1905年(同三八)4月有田工業学校卒業、1909年(同四二)7月東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科(科長高山甚太郎・副科長平野耕輔・教授北村弥一郎・助教授芝田理八・講師板谷波山)卒業、ただちに日本陶器合名会社へ入社しサヤエ場担当。
翌年飛鳥井孝太郎解任後同社のディナーセット完成の責任を負い、1912年(同四五)7月渡欧し、ベルリンゼーゲル研究所クラーマー博士のヒントにより従来の蛙目・天草石の一部をヨーロッパ産カオリンに転置することにより八寸皿を完成。
1918年(大正七)碍子部へ移り、翌年日本碍子株式会社設立により工務部長に就任し特高圧碍子・点火栓・耐酸モルタル・耐磁器などを軌道に乗せました。
1929年(昭和四)常務取締役、1930年第一次陶磁器工業改善委員長、1931年日陶連商科員会長、1936年(同一一)日本特殊陶業株式会社が設立され社長就任(日碍常務兼任)、1939年(同一四)10月日本碍子社長兼任、1944年(同一九)5月両社社長退任、1947年(同二二)4月有田町長、】949年(同二四)1月東洋陶器株式会社(現東陶機器株式会社)社長就任、1956年(同三一)4月窯業協会会長、1963年(昭和三八)1月東洋陶器会長。
1964年8月24日没、七十九歳。