英国陶磁器 えいこくとうじき

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鶴田 純久の章 お話

貿易港として有名なブリストルは古くから炻器の産地としても知られ、その歴史はエドワード一世(1272-1307在位)の頃に始まるとされます。
エリザベス一世(1558-1603在位)の時代には褐色・灰色の陶器が生産されました。
十八世紀にはデルフトタイルの模製で知られ、その最初は1703年であります。
やがてタイルは独自の美しさをもつようになり、建築物の表面を飾るようになりました。
白い錫釉、緑青色、マンガンの紫などが利用されています。
同じ頃磁器もつくられたがマイセンそっくりのものでありました。
最も有名なメーカーとしてチャンピオンの工房がありました。
チェルシーでは1676年以来ベネチアの陶工がバッキンガム公の保護下でガラス工場を開きましたが、やがて磁器製造にも手を染めるようになりました。
それは十八世紀半ばのことであります。
文様は植物が多く写実的に扱われています。
そのほか愛らしい無釉の陶像が多くつくられました。
テーマには天使・ビーナスーバッカスなどの神話上の人物から、歴史上の人物・宮廷関係の人物などが使われました。
細密優雅な感情をたたえた写実的なものばかりであります。
原料は最初はドルセットのちにはコーンウォールから採取されました。
釉は極めて薄く掛けられています。
チェルシーの器物は宮廷や貴族の間でことに愛好され、セしフルに匹敵するとされました。
ダービーもチェルシーと同じく十八世紀の中頃から美しい装飾的磁器を製造しました。
しかし生産額は少なく、時にはチェルシーと連合しています。
しかしその生産品は多色で彩られ金彩をも多く用いて貴重視されます。
スタッフォードシャーの陶器は先史時代にまでさかのぼることができます。
すぐれた粘土が埋蔵されているため早くから陶器製造が行なわれてきました。
十六世紀には農民風の陶器が多くつくられ、中でもバター入れは有名で多くの需要がありました。
しかし釉は用いられていないようです。
1670年に至って褐色スリップを用いた陶器が現れます。
1680年には有名な塩釉が発見されました。
それは普通の塩を窯の中に投げ込む方法でありましたが、一女性による偶然の発見と伝えられます。
これ以後スタッフォードシャーの陶器は美しい塩釉で飾られるようになりました。
また表面に刻文を施し、それにコバルト入りのガラス粉を詰めて文様を出す方法も十八世紀に始まった。
また磁器の製造にもプリマスから技法を導入する努力が払われ、やがて中国磁器をモデルとしたクリーム色の器物が生産されることになりました。
またウェッジウッドがこの地の陶業の大きな力となっていたことはいうまでもないようです。
アダムズ、ラーキン、プールなど有名な陶磁製造業者も集中していました。
そのほかのイギリスでの伝統ある陶磁産地としては、プリマス、リバプール、ウォーシェスターなどが数えられます。

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