関西財閥の重鎮、元倉敷レイヨン社長。
1909年(明治四二)生まれ。
岡山県倉敷の大原孫三郎の子。
1939年(昭和一四)倉敷絹織株式会社の社長に就任、1941年(同コハ)にはまた倉敷紡績株式会社の社長に就任しました。
親譲りの地盤のうえに理論家をもって知られ、その識見と手腕を見込まれて1947年(同二二)にはインフレ昇進期の日本経済の収拾のため物価庁の次長に任ぜられもしました。
また日経連常任理事・日本放送協会経営委員・日本ユネスコ国内委員などをつとめました。
趣味として洋画・陶器・音楽を楽しみましたが、特に洋画・陶器ではよき理解者として知られていました。
1968年(同四三)7月27日没、五十九歳。