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鶴田 純久の章 お話

中興名物
所蔵:五島美術館
高さ:7.5~7.8cm
口径:15.2~15.8cm
高台外径:5.8~5.9cm
同高さ:0.6cm

 江戸初期のころ、幕府の医官を勤めた曽谷伯安(寛永七年十二月、六十二歳没)が所蔵した茶碗から、伯庵の呼び名が生まれたと伝えちれますが、この伯安所蔵の茶碗と形状や様式を同じくするものを、古来、伯庵と呼んで珍重し、十数個があげられてきました。そのうち半数はいま不明で、現在知られているものは、いわゆる本歌をはじめ、冬木・土岐・酒井・奥田・天王寺屋・宗節など、もとの所有者名を冠した茶碗のほか、無銘のもの一点を数えるにすぎません。
 この「朽木」銘の伯庵茶碗もその一つで、本歌ものや「冬木」「奥田」「土岐」と並んで、小堀遠州が選定した、いわゆる中興名物にあげられています。もと朽木伊予守(寛永九年、丹波福知山に移封されで三万二午石を領し、正徳四年、七十二歳で没した)が所蔵していましたので、この銘があります。
 伯庵には、いわゆる十誓という枇杷色・なまこ釉・しみ・片薄高台・高台裏の縮緬じわ・轆轤(ろくろ)目跡・きらず土ご豆腐のしぼりかすの色)・茶だまり・小貫人・端反り・さらに竹の節状高台・高台裏の飛び釉など共通した約束があげられますが、この朽木銘の茶碗もそれらの約束を具備しています。なかでも内外面を包む枇杷色の釉色は美しく、とりわけ灰白色のじみの浮く内面の釉色は、深い光沢を帯びであざやかです。また外表の胴まわり中央をめぐる横樋に表われたなまこ釉の発色も申し分がなく、その釉面は左では広くで右に回るにつれて、たくまずして狭くなる景を添えています。高台ぎわの釉と露胎との境目近くには、釉中に、釉がけの際、茶碗をささえた指あとと思われる釉ぎれが三ヵ所あらわれていますが、このような製作時の痕跡が示されているのは、同類茶碗では異色です。そのほか、この茶碗臆「冬木」とともに、他の伯庵茶碗に比べて大振りであるのも、特徴の一つといえます。
 藤組み蒔絵の内箱、真塗り蒔絵の中箱のほか、春慶塗りの外箱がつき、それには大徳寺四百四十七世拙叟和尚(安政六年没)の筆で「黄瀬戸 茶碗 伯庵」(蓋表)、「南明庵 無用子(花押)」(蓋裏)としるされています。なお、内箱蓋表にも貼り紙で「伯庵」とありますが、筆者は不詳です。その他、この茶碗を賞した舟越伊予守より、酒井紀伊守あて書状二通が添えられています。
 伝来は、朽木家から深江庄左衛門、京都三井家、大阪鴻池家、ついで藤田家へと移りました。
 深江庄左衛門は江戸銀座の年寄役で、同役の中村内蔵介らとともに、正徳四年聞所になりました。その私財売り立ての中に伯庵茶碗二個があったことが、金森得水の『古今茶話』にしるされています。それによれば、一つは十五貫三百七十七匁で広島屋平十郎が、他の一つは十四貫九十七匁九分で伊勢屋弥兵衛が買いましたが、いずれが三井家に納まったかは不明であるといいます。
(田中作太郎)

瀬戸 伯庵 茶碗 銘朽木

高さ8.2cm 口径16.1cm 高台径5.8cm
五島美術館
 「朽木伯庵」と呼ばれ、かつて朽木伊予守が所持していたものと伝えられています。この茶碗は広く椀形に開いていて、「冬木伯庵」とは形のやや異なった茶碗であります。しかし、一連共通の伯庵の約束はそなえています。

朽木伯庵 くちきはくあん

中興名物。伯庵茶碗。
朽木家伝来の伯庵茶碗なのでこの名があります。
大振りで薄づくり、口縁がやや端反り、外部は黄釉の光沢が麗しく、胴体の約半分にわたって横ざまに海鼠模様があるようで、左より右に行く程縮まる。
高台廻りは土をみせ、縁が片薄で底内に飛釉のあることなどすべて約束通りで、内部は光沢が一段と麗しく、枇杷色中に印鼠色の浸み模様があるようで、見込は琥輸が不規則に巡っています。
他の伯庵茶碗とほぼ同式ですが、外部の海鼠釉は十分幅広く現われ、小さいひびのほかは概して無疵なのがこの茶碗の特徴。
もと朽木伊予守の所持、深江庄左衛門、八文字屋彦三郎、京都三井家、大阪鴻池伊兵衛、戸田露吟を経て大阪藤田家に納まりました。
現在は藤田美術館蔵。
(『古今名物類聚』『千家中興名物』『大正名器鑑』)

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