所蔵:根津美術館
高さ:7.2~7.4cm
口径:13.7cm
高台外径:4.5cm
同高さ:1.0cm
六地蔵と並んで、小井戸の双璧とされる茶碗である。彼の剛に対して、これはまた温雅の特色を出す。雌雄対照の妙というべきか。
六地蔵と並んで、小井戸の双璧とされる茶碗です。彼の剛に対して、これはまた温雅の特色を出します。雌雄対照の妙というべきですか。
忘水とは小堀遠州の命銘ですが、けだし忘水の語義は、草原の叢など、人目に触れぬ所に絶え絶えに流れる水のことで、『詞花和歌集』にも「住吉のあさ沢小野の忘水たえだえならであふよしもがな」(巻八)などと見えます。この忘水の語から連想される、うち佗びたるさまのうちに、一沫あえかに匂う相聞の色どりを、まことに適切にこの茶碗から感じとることができましょう。遠州の命銘は、茶碗の美を巧みに歌いあげて妙です。この銘によって彼は、愛情こめて茶碗への思慕礼賛の無限の詩を、永遠に口ずさんでくれているのです。
姿と釉肌の感じが、これほどぴったり一体となった茶碗も数少ないです。優雅に佗びて、しかも内にしっとりと艶を含んでいます。歌詞で表せばまさに忘水そのものですが、あるいは千万の麗句よりも、いっそう豊かにかつ微妙にこの茶碗のほうが、忘水の情趣を語っているかもしれません。
小井戸の名のごとく小振りで、通途の井戸に比べて薄作、かつ轆轤(ろくろ)目も細かく回り、高台ぎわの切り込み深く、高台より裾がせばまった形りで、総体に技巧昧のまさった華奢出来の瀟洒な姿です。
釉肌のあがりもこれにふさわしく温雅で、総体やや赤みざした枇杷色のうちに、口辺一帯に、釉むらの部分ことにやや青みがかり、高台内外に細かい梅花皮(かいらぎ)が出ています。高台畳つきには、五徳目が四つあります。
内面口辺には茶渋厚く、見込みに目あと四つあり、茶だまりの釉だまりも青みがかります。口辺にはまた縦貫入が数本みられます。
作風においても、普通の井戸手とは、ことに高台など異なりますが、素地もやや鉄分少なく、釉調もいわゆる枇杷色ながら、通途の井戸釉とは異なり、失透気味であ。通観して、忘水に代表される小井戸とは、明らかに大井戸の手とも、また青井戸の手とも作風・素坤・釉質を異にするもので、たぶんに茶趣の加味された、技巧臭の濃い一手であることが思われます。それだけに、小味に堕するそしりは免れぬとしても、大井戸や青井戸には求むべくもない、神経のゆきとどいた、繊細な美感をそそる茶碗が生まれています。
箱書き付け 小堀遠州「忘水高麗」
伝来はもと遠州所持、ついで土屋相模守に伝わり、のち信州上田の城主松平伊賀守の所有となります。その後明治に入って、赤星弥之助に伝わり、大正六年、同家の第一回蔵品売り立てに坂本金弥に落札、のち京都の茶器商土橋嘉兵衛の手に移り、さらに根津青山(嘉一郎)に譲られ、昭和十六年、根津美術館設立とともに同館蔵となりました。
(満岡忠成)
忘水 わすれみず
古井戸茶碗。
忘水とは、野中の大目につかない所に流れる水の意で、この茶碗の佗びた趣から付けられた銘であろう。
古歌に「住吉の浅野の小野の忘水たえだえならで遇ふよしもがな」とある。
腰下にふくらみをもつ柔らかな形姿で、高台周りには他の井戸のような荒い箆削りはみられない。
高台の縁、根に食い込むような土取りがあり、それがこの茶碗のたたずまいをユ二一クなものにしている。
見込および畳付に各目四つ。
優美な古井戸である。
【付属物】箱-桐白木、書付小堀遠州筆
【伝来】松平伊賀守-赤星弥之助-坂本金弥
【寸法】高さ7.2 口径13.6 高台径4.5 同高さ0.9 重さ237
【所蔵】根津美術館
名物。朝鮮茶碗、古井戸。
忘水は野中など人目に触れぬところに絶え絶えに流れる水のこと。
『詞花集』に「住吉の浅野の小野の忘水たえだえならで遇ふよしもがな」とあります。
茶碗のうち佗びたさまを、忘水になぞらえて名付けたのであるでしょう。
もと小堀遠州所持、土屋相模守、信濃国上田城主松平伊賀守、その後東京赤星家、坂本金弥を経て東京根津嘉一郎家に入りました。
現在は根津美術館蔵。
(『古今名物類聚』『大正名器鑑』)