茶碗の形・意匠の手本を朝鮮に送ってつくらせたものを御本茶碗というが、御所丸茶碗はその最も早い例で、古田織部の意匠により釜山に近い金海窯で焼かれたものである。御所丸という名は古くから対鮮貿易の御用船に付けられた名で、文禄慶長役の(1592~8)の際島津義弘がこの手の茶碗を朝鮮で焼かせ、それを御所丸に託して秀吉に献上したという伝承から起こったという。金海の土は金海堅手の茶碗でもわかるように半磁質のよく焼き締まる灰白土で、肌に淡紅の斑点を浮出させるのが特色だが、御所丸の茶碗にもその特色がよく現われている。御所丸の中で最も古く有名な織部所持、鴻池家伝来の茶碗「古田高麗」でみると、形はいわゆる織部好みの典型である沓形で、口縁は玉縁、胴が引き締まって腰がいかつく張り、その腰に亀甲ベラと呼ばれる箆目が鋭く入っている。高台は大きくこれも箆で五角あるいは六角に切られている。和陶の織部茶碗とまったく軌を一にしているといえよう。御所丸の中にはこの白い肌に黒い鉄砂を片身替りに塗ったものがあり御所丸黒刷毛と呼ばれるが、これなどは明らかに黒織部の茶碗と兄弟関係にある。先の鴻池家伝来のものはその伝来のゆえに白茶碗でありながら古田高麗と呼ばれる唯一の例外で、古田高麗といえば一般に黒刷毛の手を指す。それがいかにも黒織部に近いからであろう。
高麗茶碗の一種。御所丸の名は、朝鮮との交易に使われた御用船を御所丸船といい、文禄・慶長の役のとき、島津義弘がこの手の茶碗を朝鮮で焼かせ御所丸船に託して秀吉に献上したことからきたといいます。
桃山より江戸期にかけ日本から朝鮮に御手本(切形)を送って焼かせたものを御本といい、古田織部の御本で金海の窯で焼かせたもので「古田高麗」ともいい、御本としては最も古いもの。堅手の一種で「金海御所丸」ともいいます。
形は織部好みの沓形で、厚手。腰には亀甲箆という箆削りがあり、高台は大きく、箆で五角ないし六角に切られています。高台は釉がかからず土見せ。白無地の「本手」(白手)と、黒い鉄釉を片身替わりに刷毛で塗った「黒刷毛」と呼ばれるものがあります。