加藤五輔 かとうごすけ

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鶴田 純久の章 お話

1837年(天保八)5月12日加藤嘉右衛門の長男として、今の岐阜県多治見市市之倉町で生れました。
本名五助、清陶園五輔と号し、製品の銘には「大日本美濃加藤五輔造」と書き、また海外博覧会で好評を博したところから一般に「日本五輔」で知られています。
西浦焼三代西浦円治が市之倉の丸窯で初期の輸出製品を焼いた頃工場主任格で従事しました。
その影響を受けてのち独立、1878年(明治一一)パリで開催の万国博覧会に出品した富士山を描いた花瓶は入賞しています。
美濃における明治年代随一の工人でありました。
1915年(大正四)1月22日没、七十九歳。

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