大正・昭和の愛知県瀬戸の窯家。
1890年(明治二三)9月10日瀬戸に生まれた。
初名亮一。
1906年(同三九)瀬戸町立陶器学校を中退し、陶巧合資会社に入社。
1910年(同四三)父の五平を襲名。
1926年(大正一五)瀬戸陶磁器工業組合の創設に尽力し、監事に就任。
次いで1930年(昭和五)5月同理事長となり、日本陶磁器工業組合連合会専務理事を兼任。
1934年(同九)愛知県知事より産業功労者として表彰され、また連合会理事長に就任、ますますその手腕を発揮して、原料・資材の共同購入から製品の共同販売などに至るその改革には著しいものがあり、斯業に稗益貢献するところ絶大でありました。
あたかも文化・文政年代(1804-30)瀬戸に染め付け磁器が発祥した時の加藤唐左衛門に匹敵するといえましょう。
しかし1936年(昭和一一)部下の鈴木舜二と岩田源之助の犯した過失を上司組合長の責任として法の裁きを受け、ついにいっさいの役職を辞任しました。
組合員はこれを慨嘆して瀬戸陶磁器工業組合顧問に推嘱しました。
五平は陶芸に関心をもち、自らも創作して各展に入選・入賞し、また海外展でも認められました。
大正年代には加藤薔山・加藤唐九郎も彼の門下にありました。
戦後は俳諧に余生を楽しみ、1959年(同三四)6月29日没、六十八歳。