所蔵:藤田美術館
高さ:7.2~7.5cm
口径:13.7~14.5cm
高台外径:6.0cm
同高さ:1.2cm
片身替りの手はことに千種手と酷似しますが、ともに古伊羅保と作ふうの基調を共通にします。
すなわち素地がひとしく、口作りに切り回しやベベラがあり、見込みには内刷毛めぐり、高台は大きく竹の節で、上に開いだ姿も似ています。釜山に近い昌基の窯跡で片身替りの破片が見つかったといいますが、おそらく他の古伊羅保や千種手も、ここで焼けたものでしょう。
伊羅保の名の起こりについては、どうもまだ得心のゆく説がないようですが、元禄時代の「見知紗」には「いらぽとハいら々とあらきめなる物也」と、膚のいらいら説があがっており、今日もこれがいちばん普通に行なわれています。『隔莫記』の万治三年の記事に、京焼きの「イラ坊手」写しのことが見えていますので、朝鮮での焼造はもう少し早く、寛永(1624~1644)初めごろとみたらよいでしょう。
古伊羅保にしろ、千種手・片身替りにしろ、朝鮮本来のものではないことは、技巧的な作ふうからも一見して感じられますが、各種の作意的ないわゆる約束が、茶人の意匠に出たことは明らかで、切り形による形物茶碗であり、要するに一種の御本茶碗といってよいです。遠州御本という語がありますが、上記伊羅保や本手ととやの類は、その好みや時代の上かちいって、いわゆる遠州御本に当たるものとみてよいです。片身替りの手の特色としては、まずその名のように、伊羅保釉と井戸釉とが、高台にかけて、かけ分けになっていることで、片身替りは慶長から寛永にかけて、ことに染織界で流行した派手な意匠であって、その流れをくむものとみられます。また口縁には鋭い切り回しがあり、たいていへこみやベベラもあって、見込みには濃い白の片刷毛が半回りしています。高台は土見ずで作り手強く竹の節、内までかけ分けあり、うずを巻いて兜巾は丸く大きいです。素地は砂まじりの鉄分の多い臓土で、これは膚合いのざらめきをねらったもので、ざらめきを喜び、切り回しのあるのは、恥ぴもの共通の特色です。古伊羅保の一手ではありますが、片身替りのほうがやや時代が下るかとみられます。
藤田美術館の片身替りは、同手の中でもことに出来のすぐれた代表作として、世に知られたものです。口縁の切り回しはよく利いて、見込みの濃い片刷毛とともに一脈の涼味を漂わせ、山割れやへこみに変化をみせています。伊羅保、井戸両釉のかけ分けは、二部重なって玄妙の色合いを呈し、みごとな景となっています。ことに高台わきから高台内にかけての重なりは、青緑味に梅花皮(かいらぎ)が出て、手強い竹の節高台とともに、最大の見どころをなしています。土の特色として、内外にわたって御本の鹿の子が出ていますが、ことに伊羅保釉膚では地色と映えて、絶妙の景を呈しています。胴に引き目の細筋きりきりとよく立ち、高台がっしりと、総体手強く、渋いうちに神経の冴えた瀟洒の一面もあって、寂びも分片身替りの特色は、遺憾なく発揮されています。
付属物は、
内箱 桐白木 蓋表書ぎ付け「御茶碗いらほひかハり」
外箱 春慶杉継ぎ合わせ
大阪草間家の旧蔵で、のち藤田家の有となり、現在は藤田美術館所蔵となっています。
(満岡忠成)