高さ:4.7~5.0cm
口径:15.5cm
高台外径:6.0~6.2cm
同高さ:0.5cm
絵高麗ということばは、鑑賞陶器のほうでも使う。磁州窯の、白化粧地黒絵のものをさすのですが、それはこの手の茶碗に、すでにつけられていた古名を、そのまま借用したものなのです。昔は、朝鮮も、中国も、あまり厳密に区別していませんでしたので、これも朝鮮産と考え、紋様がありますので、絵高麗と呼んだものらしいです。絵高麗茶碗には、白地に黒釉で梅鉢を描いたものと、白地に黒刷毛をして黒地を作り、その上に白盛りで描いたものと、二通りあります。どちらかといえば、この黒地白花のもののほうが、はなやかといえそうです。
手ずれて黒くなっていますが、土は灰白色の、ねっとりとした磁州窯一流の土です。轆轤(ろくろ)もさすがに速く、高台周辺の削りあとは、胸がすくようです。形が出来たあと、高台をつまんで、どろどろの白泥につけ、化粧をします。磁州窯では、胎土の焼き上がりの色が白くありませんので、古くから、この白化粧を行なっています。これが、きまりなのです。次に鉄分の濃い、鬼板のような泥を刷毛塗りにして、黒い帯をつけます。その上に、化粧と同じ白泥で、紋様をつけるわけです。このつけ方は、筆先で、したたらせたのかとも思いますが、粒が、かなり盛り上がっているところを見ますと、あるいはイッチンで盛ったのかもしれません。
そして内外面とも、口縁下に二本、黒線をめぐらして、意匠を締めくくっています。この線は別の釉ですので、・黒地の上でも、あざやかに発色するわけです。このあと、さきのと同じ要領で、上釉をかぶせます。釉以長石分が強いですので、いくぶん白濁します。そのために、白化粧地の部分は白く、黒刷毛の部分は、ちょうど鼠志野のような調子になります。そして施釉法が無造作なため、釉は化粧より下の素地の部分にまで及び、そこでは、萩か御本のような釉調を示します。はなはだ変化に富んだ景色が現れることになります。
それだけではありません。碗を伏せた写真を見ていただごう。上釉は随所に流れたまり、白玉の美しさを見せます。そして釉の厚いところには、細かな気泡孔が集まり、あたかも志野の膚を思わせます。露胎部の左のほうに釉のたれとは違う、したたりのあとが見えますが、これは、化粧の白泥が余り流れたあとです。手ずれて、よごれてしまっていますが、洗えばもとの白さに戻って、素地の灰白色と、くっきり対照するはずです。そのほうが、さらに景色に変化が出て、おもしろいのではありますまいか。写真ではわかりにくいかもしれませんが、露胎部の円の下(写真づらで)四分の一ほどが、やはり白化粧の露出部で、もとどおり、これだけの広さに白地が出ていたら、さぞかし美しい景色だろうと思います。
外面とは対照的に、内面には何の飾りもありません。ただ一つ、ここに変化をつけているのは、重ね焼きのために削られた、見込みの蛇の目です。釉がけのあとで削られましたので、施釉部と蛇の目との境界は、くっきりしています。他の絵高麗では、よくここに釉めくれが出たりしますが、これにはその一かけもなく、まことに完好なものです。
この手の絵高麗茶碗は、江戸の初めごろ、日本からの注文で、作られたものでしょう。中国には、これに類する遺品を、全く見ないからです。関西では夏の祭り鮒に、瀬戸唐津(皮鯨手)と並んで、この絵高麗は欠かすことのできない茶碗です。外箱の蓋裏には、戸田露吟(谷松屋戸田家の三代前)の筆で、これが葛野、竹田氏を経て、梶川氏に入ったとしるされており、「絵高麗にて是を第一と云伝ふ」と、当時からの評価が示されています。
(佐藤雅彦)
絵高麗梅鉢
伝来 小西家
寸法
高さ:5.4cm 口径:16.0cm 高台径:6.1cm 同高さ:0.4cm 重さ:295g
前出の梅鉢と同じく、これもいわゆる「かげ」の手の茶碗ですが、この方が いくぶんおだやかな趣があります。それは高台まわりの土見の色が淡黄褐色で、前者のように強い赤に出なかったため、各段の色の対比がそれほどきつくないからでしょう。そして無色透明の上釉が、高台わきのほぼぞろいの線までかかっていますので、上段の鼠と下段の白の帯が、ほどよい均衡を保っています。
このかげの手の茶碗は、必ずロ縁の内外に黒の線を一・二本めぐらしてくくりとします。この茶碗でももちろんそれが認められますが、外縁の方の線は鼠地の上に引かれますので、それほど目立だありません。
しかしそのかわりというか、鼠の帯がロ縁よりややさがって刷かれたため、ロ縁にくっきりと白の線がのこって、あたかも白縁天目のそれのような風情になってい&。いかにも涼しげな茶碗で、風炉の季節に真向きのものとして珍重されています。