近江国(滋賀県)彦根藩窯湖東焼の陶工。
尾張瀬戸の人。
1856年(安政三)5月古窯師として御抱えとなり名を善三と改めました。
翌年二人扶持を給されましたが、1860年(万延元)辞して帰国。
(『湖東焼之研究』)んじゅやき(含珠焼)1887年(明治二〇)頃佐賀県杵島郡小田志村(武雄市西川登町小田志)の樋口治実(植花堂)の創始。
螢手のように透明な部分のある磁器で、特許第四〇五号「磁器に透明紋様を表わす方法」(1887年、明治二〇年12月2日)によったものです。
しかし製作に当たって破損か多かったので永続しませんでした。
1896年(同二九)頃長崎県東彼杵郡上波佐見村(波佐見町)の田中宇太郎がまた含珠焼を製し始め、1924年(大正一三)に及んです。
(『日本近世窯業史』『日本陶甕史』『大日本窯業協会雑誌』三五)‘んすいえんやき(含翠園焼)竹本隼太窯の製品。
明治初年より東京の高田豊川町(豊島区)にあったその園名に因むものです。
※たけもとはやた