大名物
高さ:8.3cm
口径:10.6~10.7cm
高台外径:4.7cm
同高さ:0.8cm
「北野」の銘の由来は、いささか判然としませんが、『伏見屋覚書』には「北野黒 長次郎作 利休所持 北野大茶湯に用ふ」とあり、内箱の蓋表に随流斎が「北野 黒」と書き付けしていることから推測しますと、『伏見屋覚書』の由来を、信じてよいのではないかと思います。姿はつつましく温和な趣の小ぶりの茶碗で、胴の厚みはやや厚手ですが、底はかなり薄く削り込まれています。
ゆるやかにふくらんだ胴は、一部に少しくびれをつけ、口作りは内にかかえこんでいます。
高台が高く、くっきりと削り出されて、見た目につつましく引き締まった趣があるのは、この茶碗の特色であり、兜巾は小さく、そのまわりがまるく削り込まれています。
総体には黒釉がかなり厚くかかり、しかも相当によく溶けています。しかし窯中からの引き出し時を、いささか誤ったのか、釉膚は「大黒」や「俊寛」などのように、なめらかなものではなく、かなりざらめいているのが残念です。黒釉中に特有の茶釉が現われていますが、内面はかなりかせて茶味が強いです。高台に、目跡が四ヵ所残っています。胴に大きなきずがあり、漆で繕いされています。
内箱蓋裏の書き付けは、江岑の筆で「利休判在之覚 今程キエ見不申候 黒茶碗 左(花押)」とあり、その利休の判のことについて、左の文面の書状が添えてあります。
昨日御出被成候処 令他行 不懸御目御残多存候 此申不得貴意候 墨跡箱書附致進 又くろちやわん判見へ不申候 此以前ハ隨二在之処きへ見不申候 残念二存候 則ふだニ書附仕進候 二色共二持せ進候 御計可被成 此一箱宇治より 到来申候間 令進入候恐惶謹言 十二月九日
尚々 今朝竹内門前之衆被参候 もしもし御隙二候ハ、御出可被成候
興善院様申給へ 宗左
とあって、江岑がかつて北野黒を見たときは、利休の判がありましたが、今は消えて見えなくなったことを残念に思い、その上で箱書きを、したためたのでした。
同じ内箱蓋表には、随流斎宗佐が「北野黒 興善院 内老父書付有 宗佐(花押)」と極め書きしています。さらに外箱の蓋には、表に「北野」の二字、裏に「北野黒 長次郎茶碗 逢源斎文添 随流斎極 如心 左(花押)」と、如心斎宗左の書き付けがあります。
伝来は、利休所持ののち、興善院に伝わり、のちに江戸の富商冬木、すなわち上田喜平治の有となり、寛政のころに松平甲斐守、さらに文化のころ、江戸の道具商本屋惣吉、本屋了我の取り次ぎで松平不昧公の蔵となりました。その代金三百五十両。
不昧公は、北野大茶会に用いられたという伝承を珍重してか、所蔵の長次郎茶碗の中では、ことに大切にし、『雲州名物記』には、大名物の部に記載され、喜左衛門井戸、細川井戸、蛾破蓋、油滴、加賀井戸などと同列に扱っています。また文化六年十二月には、この茶碗を用いて数回茶会を催していますが、そのおもな道具組みは、次のようなものでした。
一 掛物 利休文 なまめかし
一 茶入 振鼓
一 茶碗 北野黒
(林屋晴三)
黒茶碗 銘 北野黒
高さ8.3cm 口径10.7cm 高台径4.7cm
銘の由来は判然としませんが、千利休が北野大茶湯に用いたことによると伝えられています。内箱蓋裏には江岑が「利休判在ヲ之覚候 今程キエ見不申候 黒茶碗 左(花押)」と書き付けていますが、この書付を所持者の興善院から依頼されて書いたことが同筆の添状によってうかがわれ、文中に「くろちやわん判見へ不申候 此以前ハ隨二在之処きへ見不中候」とありますので、かつて利休の判があったのでしょう。蓋表には随流斎宗佐が「北野黒 興善院 内老父書付有 宗佐(花押)」としたためています。したがって、早くから「北野黒」と呼ばれ、利休所持の黒茶碗として著名なものであったように思われます。外箱蓋裏には如心斎が「北野黒 長次郎茶碗 逢源斎文添 随流斎極 如心 左(花押)」と極め書しており、後に江戸の冬木喜平次、寛政頃に松平甲斐守、文化頃に松平不昧と伝来しました。
緩やかにふくらんだ胴は、一部に僅かにくびれをつけ、口造りは少し内に抱え込ませ、高台はやや高くくっきりとして、兜巾は小さく渦巻いています。黒柚が全体に厚くかかっていますが、焼きが過ぎたのか釉膚は滑らかではなく、かなり荒々しくざらめいた膚になっています。見込の作行きは「大クロ」とよく似ており、胴はやや厚手に作られていますが、底はかなり薄く削り込まれています。胴の一部が大きく破損し、共繕いされているのが惜しまれます。
北野 きたの
黒楽茶碗。
長次郎作。
大名物。秀吉が天正十五年に開催した北野大茶湯に使用されたのでこの銘があります。
一名「北野黒」とも呼びます。
江岑宗左の箱書や興善院あての文で、かつて利休在判であったことが知れ、利休との所縁の深さがうかがわれます。
外面は釉がよく熔けていますが、肌はざらめいています。
見込みはカセて、黒釉中に特有の茶釉がみられます。
高台には目が四つあります。
《付属物》内箱-桐白木、書付随流斎宗佐筆、蓋裏書付江岑宗左筆外箱-桐白木、錠前付、蓋裏書付如心斎宗左筆 添幅-江岑宗左筆
《伝来》千利休-興善院-冬木家-松平甲斐守-松平不昧
《寸法》高さ7.9 口径10.5 高台径4.5 同高さ0.8 重さ310
北野 きたの
大名物。楽焼黒茶碗、長次郎作。薄づくりの方で口縁がやや抱え、大きな破損繕いがある。胴はやや括れ、高台縁はやつれて作行は不規則。その廻りの光沢のある黒釉の中に特有の茶釉をみせ、底内の渦は中央が凸している。内部は総体に釉カセのためとりたてていう程の景色はない。初め利休が所持し、北野大茶湯に用いられ、興善院、冬木喜平次を経て寛政(1789~1801)の頃松平甲斐守に伝わり、さらに文化(1804~18)の頃代金三百五十両で松平不昧に納まった。不昧はこれを尊重して六条肩衝・本能寺文琳と共に大名物の部に列し、永く保存するよう世嗣月潭に遺誠したという。(『大正名器鑑』)