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鶴田 純久の章 お話

対馬藩の御抱え医師で姓は船橋、もと京都の人。
茶の湯に心篤くまた窯芸に通じていました。
1663年(寛文三)初めて朝鮮に渡り釜山窯で製陶。
その作は砂気が多く黒味がちのざらざらした伊羅保風のものです。
また南蛮や呂宋風のものもありますが、煉し焼きの感じのする黒味がちの渋いものが多いようです。
1664年(寛文四)10月25日没。
『万宝全書』に玄悦御本手、『陶器考付録』に玄悦伊羅保がみえています。
(『釜山窯ト対州窯』)

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