大振りの玉取り獅子をあらわした狛犬で、いずれも阿伝一対として神社に奉納されたものでしょう。この種の狛犬は大小かなり遺品が残っていますが、なかではこれらがもっとも大きなものであります。磁胎はそれほど精緻なものではなく、焼成も一体にややあまいものが多いのは、細かな細工のものですために窯割れを懸念したからでしょう。図159はなかではもっとも華麗なものだが、ほぼ同様の彩色のものが他に二、三点残っています。図160は狛犬の胸から腹にかけて「奉寄進 薗部御神社 于時元禄壬申歲 九月吉祥日 中久間村五良左衛門 有田皿山赤絵町 薗部市左衛門 見加処村 徳右衛門同所 伊右衛門 千里栗町 青柳新九郎」の銘文が書され、元禄年間の作ですことは確かであります。酒井田家に伝わる三代柿右衛門時代の「申上口上』中に記されています 「志>物」は、あるいはこの種の狛犬を指すものかと思われ、また文中に柿右衛門焼を本歌として他作が作られていますことが記されていますので、この種のものがあることは不思議ではありません。元禄銘ではありますが、狛犬の形姿などが古調であり、また狛犬といいます特殊な作品ですことから、同様の形式の作品がかなり長期間にわたって作られたとも考えられます。