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鶴田 純久の章 お話

国宝 昭和28年3月31日指定
Jarwithdesignoffloweringgrassesofautumn,ashglaze,Atsumiware.Heianperiod,Japan.
慶応義塾大学蔵
高さ41.5cm 胴径29.4㎝
 陶芸の世界に中世的なものの胎動が始まるのは政治史よりも早く、平安時代後期十二世紀初頭のことでした。その黎明は愛知県の常滑焼、渥美焼にあらわれてきます。この二窯は、母体となった猿投窯のように美しい灰釉のかかった品位の高い施釉陶器ではなく、大形の壺・・擂鉢を中心に焼造する農耕文化に根ざした窯であり、おのずと製品も粗野ではあるが雄健な力感を内包する作風のものへと移っていきました。これらは奢侈を好む人々に向かったものではなく、あくまで実用をねらっていますが、ただ日用の器としてではなく、当時全国的に流行した経塚の経筒やその外容器、あるいは火葬骨をおさめる蔵骨器など、宗教的な器にも用いられています。平安時代後期を飾る代表的な壺とされ、国宝に指定されこの秋草文壺も、蔵骨器として、昭和十七年(1942)に神奈川県川崎市北加瀬で発見されたものでした。やや荒い灰白色のざんぐりとした素地を、中世陶器の特色である粘土積み上げ法にしたがって成形していますが、総体に薄い作りで、頸部もラッパ状に大きくひらいているために、中世陶独特の重苦しい気分は見られません。しかも胴の三方にはのびforfoやかなタッチで芒が線彫りされ、頭や肩にもんま瓜・柳・蜻蛉が同じ調子であらわされて、自在な箆使いは屈託がなく心地よいです。釉もおそらくあしめ肩にだけ施されのちに窯中で自然釉が加わって胴の釉なだれを作ったと推測されます。平安朝文化の余香をはなつ佳品となっています。(矢部)

渥美 秋草文壺

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