雅雨堂製 がうどうせい

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

中国清朝乾隆年代(1736-95)の名士であり大官であった廬雅雨という者の用品。
廬雅雨の人物およびその模様を描いた画家が当時の妙手であり芸文界の盟主であったことから、その品は非凡であると『飲流斎説甕』にあります。
尾崎洵盛によれば「廬雅雨というのはおそらく盧雅雨の誤りではないでしょうか。
盧雅雨は名を見曾、字を抱孫といい、徳州の人で雅雨は号であります。
康煕(1662-1722)の進士で両淮の塩運使の官となり、妻を愛し客を好み四方の名士が皆集まって一時の盛を極め、雅雨堂叢書・全石三例などを刻し、『出塞集』の著がある」といいます。

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