三島唐津 みしまからつ

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鶴田 純久の章 お話

慶長の役後、朝鮮半島の陶工により上画の粉青沙器印花風(日本でいう三島手)が伝えられました。
鉄分の多い土は焼くと黒くなりますが、白く見せるために胎土の上に白土を使って化粧する技術が刷毛目、粉引でありますが、刷毛目、粉引のままのものもありますが、白化粧のあと線彫りした彫三島・櫛を用いて文様を書き出した櫛刷毛目・染色の型紙を使って文様を描き出した型紙刷毛目・胎土のやわらかいうちに刻印を押たり、線彫りをして、白土、赤土を埋め込んだ象嵌・文様を掘り出した掻き落としなどの技法を用いて、唐津独特のものに発達し三島唐津になりました。

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