瀬戸後窯茶入、織部窯。
織部窯の内容は必ずしも一様ではなく、利休窯に近いものと、美濃系と思われる茶碗などに近い類のものとがあり、この茶入は前者に属しています。
この手は概して背の高い肩衝形のものが多く、多少の凹凸があったり、縦あるいは横に筋箆が用いられていることを特徴としています。
この茶入も腰が少し張った肩衝の肩の近くに横箆が一周しており、見所をなしています。
釉景もこの手は柿茶地の上に黒釉が随所に流れ下がり、さらに黄釉が加わることを約束としていますが、この茶入はその条件を満たしており、肩全面を覆った黄釉が一ヵ所で流れ下がり、胴の中ほどの少し上で止まり、品のよい景をみせて置形となっています。
この茶入には船越伊予守の文が添っており、その文面は「昨日は御尋ね忝けなく存じ候、然れば左門に仰せ置かれ候茶入見申し候、利休織部時分の焼物と相見へ申し候、能き茶入にて候、則ち返進致し候、恐惶謹言」とあって、この茶入の時代を鑑定し、さらによい茶入であると賞しています。
船越伊予守永景(1597~—1670)といえば、遠州から茶道具鑑定の奥秘を受けており、石州とともに幕府の御道具方を勤めたほどの人で、それだけにこの文の役割は大きいです。
あて名によって医師武田杏仙の依頼であることが知られます。
【付属物】蓋 仕覆―三、藤種緞子・吉野間道・淡々斎好白地七宝紋裂(図版右より)箱書付淡々斎宗室筆
【寸法】 高さ:8.4 口径:4.2 胴径:6.3