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鶴田 純久の章 お話

肥前国西松浦郡大川内焼(佐賀県伊万里市大川内町)の陶工副島勇七。祐七とも書き天明年間(1781~19)の人。彫刻の技に長じていたが、平生から監督者との折り合いがよくなく、ついに他国に出奔してみだりに国禁の陶法を伝えた。鍋島藩は捕吏小林伝内を派遣してこれを逮捕し、有田境にある坂で死刑のうえ梟首とした。勇七の出奔先は尾張国(愛知県)瀬戸であるといい、あるい伊予国(愛媛県)砥部であるというが、頼るべ文書はない。有田泉山の弁才天祠に遺存してい獅子一体は同人の作と伝えられる。(『有田沿革史』『日本近世窯業史』『有田磁業史』)

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