横石藤七兵衛 よこいしとうしちべえ

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鶴田 純久の章 お話

肥前国東彼杵郡木原山(長崎県佐世保市)の陶工。
同地横石左衛門(金久永の弟子)の三代久七兵衛の二男、1713年(正徳三)生まれ。元文年間(1736~41)初めて肥後国(熊本県)天草郡深江村で石英粗面岩いわゆる天草石を発見し、その子藤次左衛門を運搬方に当たらせた。これよ天草石は磁器原料として木原山および三川内窯に使用され、さらに日本各地に搬出されるようになった。藤七兵衛は1800年(寛政一二)88歳で没した。一説には藤七兵衛を三川内(佐世保市)の人とし、天草石の発見を1712年(正徳二)とし、またあるいは中里茂右衛門の子とする。(『府県陶器沿革陶工伝統誌』『日本陶磁器史論』『日本陶瓷史』『古木原焼及び木原焼系諸窯に就きて』)

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