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鶴田 純久の章 お話

大名物。唐物文琳茶入。
奈良松屋源三郎の『松屋日記』によれば、竹中釆女所持の文琳で、名を小堀遠州に所望して苫屋と名付けられました。
景色のない壺なので定家の「み渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ」の歌に因んで付けたものであります。
釆女は罪を犯して死を命じられましたが、生前に加藤風庵のもとにこの茶入を預けたので風庵の所有となり、のち紀州侯に献じました。
その後幕府、紀州侯、幕府と往復し、1869年(明治二)尾張大納言徳川慶勝の所有となりました。
現在は徳川黎明会所蔵。
(『松屋日記』『玩貨名物記』『大正名器鑑』)

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