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鶴田 純久の章 お話

大名物。漢作文琳茶入。
3日月文琳ともいいます。
織田信長が本能寺に寄進したため本能寺文琳といわれ、またもと朝倉義景が所持したため朝倉文琳ともいわれます。
3日月文琳の名の由来は不詳。
口は締まり、丸縁の捻り返し浅く、甑は中程が締まり下は張り、その中程と甑際に極めて細い浮筋を巡らしているのは他に見受けないところで、肩はむっくりと衝き、胴は少し張り、底は小さく、唐画の美人をみる想いがします。
総体に黒飴色で、作行は華奢で精巧無比、置形は飴色がちの二条のなだれが双方から落ち合って盆付際に至って止まります。
その景色はことに麗わしく、光沢の見事さは言葉に尽くせないようです。
総体に釉が掛かり、糸切の外裾まわりに少し朱泥色の土を見るだけであります。
糸切はこまかく繊麗無比、その形状・作行のすべてが女性的で婉麗優美、これを唐物茶入中の楊貴妃と称するのもあえて溢美ではないであるでしょう。
もと朝倉義景所持、織田信長、京都本能寺、中井大和守、小堀仁右衛門らを経て松平不昧に入りました。
(『玩貨名物記』『古名物記』『古今名物類聚』『瀬戸陶器濫腸』『大正名器鑑』)

ほんのうじぶんりん 本能寺文琳

漢作唐物文琳茶入。
大名物。
別名「朝倉文琳」「三日月文琳」。
もと朝倉義景の所持。
「三日月」の名は弦月状の釉抜けがあることから名付けられたと思われます。
その後織田信長に伝わり、さらに本能寺に寄進されたのでこの名があります。
『雲州松平家文書』に「本能寺文琳 唐物 大名物 三日月は上古の名、朝倉は中古の名なり、信長より本能寺へ遣はされ候により本能寺文琳といふ。
台徳院様(将軍秀忠) 此茶入御上覧の時、朝倉文琳御披露あり大猷院様(将軍家光)御覧の時、此前のとほり朝倉文琳と御披露(後略)」と記されています。
口造りはややのび、肩はむっくりと衝いており、胴はほどよくふくらみをみせています。
総体に黒飴釉に覆われ艶高く、この中で肩から二筋の飴色釉がかかり、これが落ち合って盆付際で止まって置形をなしています。
底は締まってほとんど畳付にのみ土が現われ、本糸切が鮮やかで美しいです。
【付属物】蓋一六、うち五枚は窠・一枚は上古蓋箱―桐白木、書付松平不昧筆 仕覆―六、朝倉間道・角倉裂・紋筋緞子・練間道・水鳥緞子(本能寺裂)・縦筋緞子(図版上段右より)仕覆箱―四、桐白木書付 仕覆総箱 桐白木、書付同筆家―象牙 挽家仕覆いちご錦 堆朱五葉盆張成彫銘 内箱―桐白木 添状箱 桐白木、書付同筆 盆箱 桐白木、書付同筆 由緒書中井主水より小堀仁右衛門あて
【伝来】朝倉義景―織田信長―本能寺 中井主水―小堀仁右衛門―松平不味
【寸法】 高さ:73 口径:1.7 胴径:6.9 底径:3.0 重さ:90

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