岐阜県瑞浪市明世町月吉および土岐市泉町河合にあった窯で、1884年頃山内寿太郎という者が約三年間製陶を続けたが失敗、河合の窯は1887年頃林栄吉らが三、四年間従事したが同じく失敗に終わり、1907年(同四〇)から沢田作治が再建を図ったがこれもまた不成功に終わりました。