
明代。
名物裂織田信長の弟織田有楽(1547~1621)の所持によるのぶかつおとぎしゆうじょうしん名称と伝える。
彼は元和三年(1617) 東山建仁寺の正伝庵を再興し、そ茶室如庵をつくって隠居した。
またこの裂は常信緞子とも呼ばれるが、信長の次男信雄(1559~1630)通称三介のことで、伊勢国司北畠家の名跡を嗣ぎ、のち秀吉の御伽衆となった人物の名によるものである。
茶を有楽に学んだから彼もこの裂を所持したのかもしれない。
網目の地紋に雲枠を散らし、この内に鶴紋を配した雲鶴紋で、地合いは紺地で緯糸に黄茶色を用いて織り出した、明代末期天啓から崇禎頃と思われる意匠形式である。
大名物「珠光文琳茶入」に仕覆裂として用いられている。



