Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

中興名物。古瀬戸肩衝茶入。もと浅野某の所有でありましたが、のち稲葉正則が得て小堀遠州に銘を求めました。
遠州はもとの所有者の姓に因み『新葉集』恋二、入道前右大臣の歌「いかにせむしのぶとすれどねにたてて浅野の雄子かくれなき身を」によって命名したといいます。
地は柿金気に鶉斑があり、黒置形なだれかあり、肩廻りは薄い飴釉、盆付は板起こし、砂目上。落ち着いた寂び味に富んだ茶入であります。
淀侯稲葉家の重器として秘蔵されていたか、1901~2年(明治三四、五)頃に縁戚松浦家に移りました。
(『古今名物類聚』『名物茶器図』)

あさのかたつき 浅野肩衝

古瀬戸肩衝茶入。
中興名物。
遠州の添文に「昔年浅野氏之人所持し侍りける一器之為名歟、淡路国浅野をよめる歌に、いかにせむしのぶとすれどなにたててあさののきぎすかくれなき身を、雉子ならねどこのうつはもの浅野のなにたてるにや、正則公おほせいなひかたくて筆を取なるべし」とあって、「浅野」の名が旧所持者によること、これに因んで浅野なる名所を詠んだ古歌を引き、この茶入も浅野の雉子のように名を高めたことを述べ、この添文が稲葉正則侯の懇望によるものであることが知られます。
すなわち浅野某所持後、淀藩主稲葉正則に伝わり、代々同家の重宝として伝えられました。
そして明治三十四、五年頃松浦家に移った。
姿はほぼ円筒形で上こしき下でややすぼまり、撫肩で、ロは締まり甑も低いです。
黒飴釉は重厚で肩のあたりをめぐり、総体に鶉斑が現われ景をなしています。
胴には沈筋がみられ、裾以下に金気勝った土が露われ、畳付はざらめいた板起しとなっています。
これという置形はみられませんが、一カ所釉がけのときの指痕がみられ景となっています。
全体としては佗びた風情の茶入ということができます。
『古今名物類聚』 ほか諸書に記されています。
【付属物】蓋―三、遠州好・三斎好 他 仕覆―四、石畳金入波兎紋・五色筋菱紋金襴・針屋裂・間タガヤサン道織留(図版右より) 家―鉄刀木、額彫緑青入 添文―小堀遠州筆
【伝来】浅野某―淀藩主稲葉正則―松浦家
【寸法】 高さ:8.8 胴径:5.2

前に戻る
Facebook
Twitter
Email