




国司茄子(くにしなす)
漢作(中国製)大名物 所蔵:伯爵 酒井忠道 氏
名称について
『津田宗及茶湯日記』の天正元年(1573年)5月18日朝の記録に、「わかさや宗可の茶会で、床の間に飾られていた茄子の茶入(此壺)は伊勢の国司のものである」と記されています。また、網干氏が著した『万宝全書』には「国司茄子 伊勢」とあります。つまり、伊勢の国司であった北畠氏が所持していた茄子形の茶入であることから、「国司茄子」と呼ばれるようになりました。ある茶書に「国師茄子」とあるのは誤りです。
寸法
高さ:1寸9分6厘(約5.94cm)
胴の直径:2寸2分6厘(約6.85cm)
口の直径:9分1厘(約2.76cm)
底の直径:9分8厘(約2.97cm)、または1寸(約3.03cm)弱
甑(こしき:口の立ち上がり部分)の高さ:1分5厘(約0.45cm)
甑の付け根から胴紐(胴の筋)まで:1寸1分2厘(約3.39cm)
胴紐から底まで:1寸2分6厘(約3.82cm)
重量:16匁6分(約62.3g)
附属物
一蓋:1枚、打込窠(うちこみすば:蓋の形状)、榎の実のつまみ
一御物袋:紫の縮緬(ちりめん)、組み紐は茶色
一袋(仕覆):4つ
国司広東:裏地は玉虫色、組み紐は紫
萌黄地唐物純子:裏地は玉虫色、組み紐は白茶色
毛織の横筋:裏地は海気、組み紐は藤色
花色地唐物純子:裏地は玉虫色、組み紐は茶色
一袋箱:桐材の白木、二方桟の蓋、革の紐、4つ仕切り
宗甫(小堀遠州)の筆で
「茄子 袋箱」とあり
一解袋(ほどきぶくろ):白極純子
「手遊(てあそび)」と言い、ほどいて中が透けるようにした桐の板に挟んである。
一解袋箱:桐材の白木
「国司茄子袋 白極純子 小堀宗友筆」
表書きは宗友の筆で「請いに応じて雷蓬露これを記す」とあり。
一挽家(ひきや):黒塗り、藤重の作
底に「藤重造」の彫りあり
袋(仕覆):オランダ木綿、裏地は玉虫色、組み紐は遠州茶色
一内箱:桐材の白木
一外箱:黒塗り、面金(角を金で縁取ったもの)
蓋裏の書付は金粉の文字で
「天明3年(1783年)癸卯(みずのとう)林鐘(6月)これ(箱か盆か)を寄附す 上田広民(花押)」
一添盆:堆朱(ついしゅ:彫漆の一種)の七賢の盆、見込み(内側)に竹林の七賢人の彫りがある。
6寸1分(約18.5cm)四方、底に足が4つ同箱(盆の箱):桐材の白木、宗甫(小堀遠州)の書付
「国司茄子 七賢の盆」
雑記
天正元年(1573年)5月18日朝 わかさや宗可の茶会 客は津田宗及一人
一、風炉、平釜、手桶、金属製の水こぼし
一、床の間に、茄子の茶入、四方盆に載せ、白地金襴の袋、台天目
この茶壺(茶入)は伊勢国司のものである。宗可が亡くなる(遠行)7日前の名残の茶会であった。
(津田宗及茶湯日記より)
国司茄子、伊勢(に由来)。土は薄い赤みを帯びている(寸法、茶入の図あり)。茄子の形(相)には二種類あり、口に甑(立ち上がり)がなく、肩が張って(スグリ)いて、盆透(ボンホリ:ぼんぼりのような形か)の形もある。ただし、尻膨(しりぶくら)という形のものを茄子と見なす古風なやり方があるが、尻が丸いものが茄子であり、肩が張り出しているものは尻膨と心得るべきである。鍋島孫平次が所持している紹鴎茄子や、八幡山瀧本坊が所持している国師茄子(国司茄子)も、右と同様(尻が丸い茄子形)であると言われている。
(万宝全書より)
国司茄子、八幡(石清水八幡宮の社僧である)瀧本坊(所持)。
(古名物記より)
国司茄子 唐物、小壺、八幡山瀧本坊(所持)。
(玩貨名物記より)
国師茄子(国司茄子)唐物である。松花堂の第一の宝物である。
(名物目利聞書より)
国司茄子、瀧本坊(所持)。高さ1寸9分6厘、胴径2寸2分6厘、口回り7寸2分、口径9分2厘、捻り返し(内側への折り返し)、その底は1寸より少し小さい。甑から胴の紐(筋)まで1寸1分2厘、筋から底まで1寸2分6厘。甑周りから折り返しの下までが4(単位不明)。袋は白極純子(裏地は萌黄色の海気)、もうる類の横筋模様、伊藤漢東(組み紐は茶色)、無銘の純子の3つで、いずれも組み紐は茶色。御物袋は紫の羽二重、組み紐も同色。挽家は黒塗りで革袋に入る。外箱は桐。添盆は堆朱の七賢の盆で、国司茄子に添えられている。石州(片桐石州)の茶杓がある(茶入の図は省略)。
(古今名物類聚より)
国司茄子。高さ1寸9分6厘、胴径2寸2分6厘、胴回り7寸3分、口径9分2厘、甑の高さ1分半弱、底径1寸弱。甑から胴の筋まで1寸2厘、甑回りは2寸9分5厘、蓋(図は省略)の厚みは1分2厘、内側にくぼみ(内菓)がある。挽家は黒塗りで「藤重」の彫り銘があり、革袋に入る。外箱は桐で、蓋は二方桟、革の紐で結ぶ。袋は白極純子(裏地は萌黄色の海気)、毛流(もうる)の横筋模様(裏地は海気)、伊藤漢東、組み紐は茶色、無銘の純子。袋を入れる箱は4つ仕切りでこのようになっている(図は省略)。袋箱の書付は「茄子 袋箱」、遠州の筆。堆朱の七賢の盆は、黒塗りと春慶塗をすり剥がしたような見事なもので、内側は朱塗り、足が4つあり、堆朱は黒みを帯びている(図は省略)。箱は桐のやろう蓋(印籠蓋)で、遠州公の書付「七賢の盆」がある。
(瀧本翁器物珍蔵記より)
国司茄子。地の釉薬は飴色、浅黄色の飴釉が肩の周りにかかっており、全体に釉薬が沈んでいて粗い砂のようになっている。裏側の景色も同じである。底は板起し(平らな形状)のように見え、釉薬が沈んで本糸切り(正式な糸切りの跡)が見える。紫色の土である(寸法、附属する茶入の図あり)。
(瀧本坊所持名物記より)
国師茄子(国司茄子)唐物 大名物、瀧本坊(所持)。柿色の地に白いなだれが正面(向前)にあり、白いごま状の釉薬が一面にあり、非常に美しい出来栄えである。金属的な光沢(金気)が非常に強い。なだれの中に少し黄色もある。胴に紐状の筋がある。作られた時代は古い方である。朱色の土で、本糸切りの跡は非常に薄い(寸法に関する記事あり)。
(麟鳳亀龍より)
国司茄子 唐物。八幡の瀧本坊所持。底は板起し(平らな形状)、地の釉薬は飴色を帯びた紫色、土は紫色か(寸法、附属物、茶入の図あり)。
(勝海舟本銘物控より)
国司茄子。八幡の瀧本坊(所持)。土は朱色だが少し中央が盛り上がっており、糸切りの跡はかすかである。口の折り返し(捻返し)の内側に〇〇のような大きさの釉薬の剥げがある。置形(正面)の釉薬の留まりの指の跡まで口の周りを取り巻いている。釉薬の流れが二つあり、置形の表のなだれは太く、裏のなだれは細い(寸法、附属物、茶入の図あり)。
(伏見屋筆記名物茶器図より)
瀧本の茄子は素晴らしいものでございます。地の釉薬は渋柿のような栗色で、非常に優れた作行きです。胴の帯(筋)は松屋肩衝のように太く、茶色の釉薬が正面(置方)にあります。土は朱色で細かく、さらりとした土でございます。
(諸家珍器之覚より)
宗納公(松平不昧公)が伝えるところによると、唐物の茄子茶入は世間には非常に稀であり、八幡の国師茄子(国司茄子)や珠光茄子などがそれにあたる。
(箒庵文庫乙第六号より)
国司茄子。中国製(漢)である。残月、北野肩衝、松山、久我(という名物茶入)と同じ時代のものである。また、残月とは同じ手法、同じ釉薬(薬立)である。
(不昧公著『瀬戸陶器濫觴』より)
国司茄子。なだれが二か所に同じようにあったのを、宗甫(小堀遠州)が片方を擦り落として修繕させたと言われている。
(宗友記より)
国司茄子
寛永9年(1632年)甲申 9月24日 初会
客:江月和尚、小遠江殿(小堀遠州)、竹筑後殿、村不及、同左平太、道閑
一茶入:国司、袋は白極、盆は七賢
一花入:らかん(羅漢)、花は白河
一茶碗:ひらの(平野)
(寛永茶会記より)
寛永10年(1633年)正月19日
摂政様が御成りになる。客:櫛笥殿、半井寿庵
一かけ物(掛物):中峰の色紙
一花入:からかね(唐金)
一茶入:国司茄子、袋はかんとう(広東)、盆は七賢
一茶碗:白鵞
(寛永茶会記より)
寛永10年(1633年)6月29日朝
客:松平周防殿、永井信濃殿、同日向殿、小遠江殿(小堀遠州)
振る舞いがあって、お茶だけを数寄屋(茶室)で。
一掛物:藤原定家と為家の両筆
一花入:からかね(唐金)
一茶入:国司茄子、七賢の盆、袋は白極(はくこく)
(寛永茶会記より)
安永4年(1775年)乙未 6月3日 大坂(浪花)北野にて瀧本坊の茶事
国司茄子
(前ページからの続き)
客:狩野宗朴、細屋宗由、細屋又右衛門、細屋彦十郎、銅屋嘉兵衛
一掛物:沢庵和尚と江月和尚の両筆
一花入:飛青磁、花は白羽衣(椿の一種か)
一茶碗:玉子手、遠州による銘「白清」
一茶入:唐物肩衝、遠州による銘「カハヅ(蛙)」
黒棚に飾る:
一国司茄子:袋は白極、七賢の盆、張成(中国の漆工)の彫り
一黄天目(茶碗):沈金(漆器の装飾技法)の台
一書巻物:松花堂の筆、存星(ぞんせい:漆器の装飾技法)の盆
(木金宗儀氏本諸家会席付より)
伝来
もとは伊勢の国司であった北畠氏が所持しており、天正年間(1573~1592年)の頃にわかさや宗可に伝わりました。その後、松花堂、すなわち石清水八幡宮の瀧本坊昭乗の手に入り、「八幡名物随一」として普段からこれを愛用していたことは、彼の茶会でしばしばこの茶入が使用されていることからわかります。明治維新後、大坂の道具商である勝兵衛(通称:道勝)の手に渡り、明治4年(1871年)頃に金2000両で若狭藩主であった酒井忠禄(おくり名は温良院)が買い取りました。
実見記
大正8年(1919年)4月25日、東京市牛込区矢来町にある酒井忠道伯爵邸にて実際に拝見しました。
飴色の地の釉薬に青白い釉薬がムラになって現れており、口の下において茶入の両面にほぼ同じようななだれがあり、裾の辺りに至って丸い釉薬の溜まりを作っているのも両面とも同じです。なで肩の格好の良い茄子の形をしており、胴の中央をぐるりと回る沈んだ筋が一筋ありますが、場所によっては少し見分けにくいところがあります。中国製(漢作)であり、地の釉薬も上掛けの釉薬も、名物茶入の「残月」に非常によく似ています。口は引き締まっており、玉縁(口の縁が玉のように丸くなっている形)の精巧な作りです。
裾から下は朱泥色(赤っぽい茶色)の土が見え、底は表面が擦れて本糸切り(正式な糸切りの跡)が途切れ途切れに現れています。釉薬の色は美しく、形も非常に優美であり、古くから茄子茶入の中の絶品と称賛されてきたことも、決して偶然ではありません。
附属している堆朱の七賢の盆は、雲の中に七賢人の模様が彫られており、中央は無地で四角くくぼんだ額のようになっていて、まさにそこに茶入を載せるようにできている、比類のない名盆です。裏は高欄(手すり)のような形で足があります。また、茶入の蓋は中央がくぼんだ窠(すば)の模様が面白く、真っ白な中に桃色の光沢があります。盆、袋、蓋ともに、おそらく松花堂の親友であった小堀遠州がデザインや取り合わせに関わった(丹青を経た)ものと思われ、その取り合わせに一点の非の打ちどころもないのは、当然のことと言えます。
【原文】
國司茄子
漢作 大名物 伯爵 酒井忠道氏藏
名稱
津田宗及茶湯日記天正元年五月十八日朝、わかさや宗可の茶會に床になすび此壺伊勢の國司の也とあり、網干氏著万寶全書に、國司茄子伊勢とあり、即ち伊勢の國司北畠氏の所持せし茄子茶入なるを以て、國司茄子と云ふなり。或る茶書に國師茄子とあるは誤なり。
寸法
高 壹寸九分六厘
胴徑 貳寸貳分六厘
口徑 九分壹厘
底徑 九分八厘又壹寸弱
甑高 壹分五厘
甑際より胴紐まで 壹寸壹分貳厘
胴紐より底まで 壹寸貳分六厘
重量 拾六匁六分
附屬物
一蓋 一枚 打込窠 榎實つまみ
一御物袋 紫縮緬 緒つがり 茶
一袋 四つ
國司廣東 裏 玉虫 緒つがり 紫
國司茄子
萌黄地唐物純子 裏 玉虫 緒つがり 白茶
毛 織 横 筋 裏 海氣 緒つがり 藤色
花色地唐物純子 裏 玉虫 緒つがり 茶
一袋箱 桐 白木 二方さん蓋 革緒 四ッ仕切
宗甫筆
茄子
袋箱
一解袋 白極純子
手遊といひ解きて透したる桐の板に挿む。
一解袋箱 桐 白木
國司茄子袋 白極純子
小堀宗友筆
表書宗友筆 請應雷蓬露記之
一挽家 黒塗 藤重作
底に「藤重造」の彫あり
袋 阿蘭陀木綿 裏 玉虫 緒つがり 遠州茶
一内箱 桐 白木
一外箱 黒塗 面金
蓋裏書付 金粉字形
天明三癸卯林鐘寄附之
上田廣民
(花押)
一添盆 堆朱七賢之盆 竹林七賢人の彫り見込にあり
方六寸一分 底足四ッ同箱 桐 白木 書付 宗甫
國司茄子
七賢之盆
雜記
天正元年五月十八日朝 わかさや 宗可會 及(津田)一(宗及)人
一風爐 平釜 手桶 金の水こぼし
一床に なすび 方盆に 白地金襴之袋 臺天目
此壺伊勢國司の也、宗可遠行の七日以前銘之會也。
(津田宗及茶湯日記)
國司茄子 伊勢。土薄赤めなり(寸法、茶入圖あり)。茄子の相に二色有り、口に甑なく脊張(スグリ)にして盆透(ボンホリ)の有形もあり、但し尻膨を茄子に取るがふる事あり、尻の丸きは茄子なり、肩を衝きたるは尻膨と心得べし。鍋島孫平次所持の紹鴎茄子、八幡山瀧本坊所持の國師茄子も、右同前といへり。
(万寶全書)
國司茄子 八幡瀧本坊。
(古名物記)
國司茄子 唐物 小壺 八幡山瀧本坊。
(玩貨名物記)
國師茄子 唐物なり 松花堂第一の什物也。
(名物目利聞書)
國司茄子 瀧本坊 高一寸九分六厘、胴二寸二分六厘、口まはり七寸二分、口九分二リン、捻返し、其底一寸少よはし、甑より胴の紐まで一寸一分二リン、筋より底まで一寸二分六リン、こしきまはり ひねりかへし下まで四、白極裏もえぎ海氣、もう類横筋、伊藤漢嶋 緒つがり 茶、純子三ツ共 茶色緒。御物袋紫羽二重緒つがり同色。挽家黒塗革袋入。外箱桐。添盆堆朱七賢之盆、國司茄子に添、石州茶杓あり(茶入圖略す)。
(古今名物類聚)
國司茄子 高一寸九分六厘、胴二寸二分六厘、同廻り七寸三分、口九分二厘、同甑一分半弱、底一寸弱、甑より胴筋まで一寸二厘、甑廻り二寸九分五厘、蓋圖略す)あつみ一分二厘、内菓あり。挽家黒塗、藤重彫名革袋、外箱桐、蓋二方さん革結、袋、白極(裏萌黄海氣)毛流横筋(裏海氣)同伊藤漢東、緒茶、無銘純子。袋箱四つ仕切如斯(圖略す)。袋箱書付「茄子袋箱」遠州筆。堆朱七賢の盆黒塗と春慶とすりはがしの様なり、見事なるものなり、内朱足四つ、堆朱黒め色(圖略す)。箱桐やろう蓋遠州公書付「七賢の盆」。
(瀧本翁器物珍藏記)
國司茄子 地飴藥、淺黄飴の藥肩取卷共、一體地に沈て麁砂の如くあり、裏景同じ、底板起しとも見え、沈みて本糸切見え、紫土なり(寸法、附属茶入圖あり)。
(瀧本坊所持名物記)
國師茄子 唐物 大名物 瀧本坊。柿に白なだれ向前あり、白ごま藥一面にあり、至て美しき出來なり、金氣至て強し、なだれの内黄も少しあり、胴紐あり、時代古き方、朱土、本糸切至薄し(寸法の記事あり)。
(麟鳳龜龍)
國司茄子 唐物 八幡瀧本坊所持。板起し、地藥あめ紫、土むらさきか(寸法、附属物、茶入圖あり)。
(勝海舟本銘物控)
國司茄子 八幡瀧本坊。土朱、但少中上り、糸切幽かなり、口捻返しの内に〇〇如此大ききの藥はげあり、置方藥留り指あとまで口をとりまき、流れ二つあり、置方表なだれ太し、裏なだれ細し(寸法、附属物、茶入圖あり)。
(伏見屋筆記名物茶器圖)
瀧本の茄子は結構なるものにて御座候、地藥しぶ柿栗色にて至て上作、胴の帶松屋肩衝のやうに太く、茶藥置方あり、土は朱のこまかき、さらりと仕候土にて御座候。
(諸家珍器之覺)
宗納公(不昧)傳、唐物茄子茶入は世上に稀なり、八幡國師茄子、珠光茄子などいふ物なり。
(箒庵文庫乙第六號)
國司茄子 漢なり、殘月、北野肩衝、松山、久我と同時代なり、又殘月とは同手同藥立なり。
(不昧公著瀬戸陶器濫觴)
國司茄子 なだれ二所に同前に有之候を、宗甫一方御すり御繕ひ候と御申候。
(宗友記)
國司茄子
寛永九甲申年九月二十四日初會
江月和尚 小遠江殿 竹筑後殿
村不及 同左平太 道閑
一茶入 國司 袋白極 盆七賢
一花入 らかん 花白河
一茶碗 ひらの
(寛永茶會記)
寛永十年正月十九日
攝政樣御成 櫛笥殿 半井壽庵
一かけ物 中峰 色紙
一花入 からかね
一茶入 國司茄子 袋かんとう 盆七賢
一茶碗 白鵞
(寛永茶會記)
寛永十年六月二十九日朝
松周防殿 永信濃殿 同日向殿 小遠江殿
振舞ありて茶ばかり數寄屋
一掛物 定家爲家兩筆
一花入 からかね
一茶入 國司茄子 七賢 盆 袋はくこく
(寛永茶會記)
安永四乙未六月三日 於浪花北野瀧本坊茶湯
國司茄子
客 狩野宗朴 細屋宗由 細屋又右衞門 細屋彦十郎
銅屋嘉兵衞
一掛物 澤庵江月兩筆
一花入 飛青磁 花白羽衣
一茶碗 玉子手 遠州銘白清
一茶入 唐物肩衝 同銘カハヅ
黒棚
一國司茄子 袋白極 七賢盆 張成彫
一黄天目 沈金臺
一書卷物 松花堂筆 存星盆
(木金宗儀氏本諸家會席付)
傳來
元伊勢の國司北畠氏の所持にして、天正の頃わかさや宗可に傳はり、其後松花堂即ち八幡瀧本坊昭乘の手に入り、八幡名物隨一として居常之を愛玩せしこと、彼の茶會に屡々此茶入を使用せるに由りて知るべし。維新後大阪の道具商勝兵衞、通稱道勝の手に渡り、明治四年の頃金二千兩にて若州侯酒井忠祿、諡温良院の買取る所と爲る。
實見記
大正八年四月二十五日、東京市牛込區矢來町酒井忠道伯邸に於て實見す。
飴色地釉に青白き釉ムラ/\と現はれ、口下に於て茶入の兩面に約同樣のなだれあり、裾の邊に至りて丸き釉溜を成す事雙方同じ、撫肩恰好よき茄子形の胴中を繞る沈筋一線、處に依りて少しく見え分かぬ所あり、漢作にして地釉上釉共に最も能く殘月に似たり、口締り玉縁精作
二百二十四
裾以下朱泥色の土を見せ、底は上摺れして本絲切途切れ/\に現はれ、釉色麗はしく形状亦甚だ優美にして、古來茄子茶入中の絶品と稱せられたるも、決して偶然に非ざるなり、附属堆朱七賢盆は雲中に七賢模樣あり、中央無地四方入額にて、正に茶入を載すべきやう出來居るは、無類の名盆なり、裏勾欄形にて足あり、又蓋は中窪み窠模樣面白く、純白中に桃色光澤あり。盆袋蓋共、蓋し松花堂の親友小堀遠州の丹青を經たる者と覺しく、其取合せに於て寸分の申分なきは固より其所なり。


