粟田口善法 あわたぐちぜんぽう お話marusankakusikaku X Facebook はてブ LINE Pinterest コピー 2011.05.012023.09.25 室町時代中期の佗び茶人。善輔ともいいます。珠光の弟子。京都粟田口(東山区)に住み、一生の間、爛鍋一つで食事をも茶の湯をもして楽しみましたので、心の綺麗な茶人であると珠光にほめられました。ほかに茄子形の手取り釜を愛用していましました。その写しを豊臣秀吉が利休を通じて伊勢国(三重県)の釜師辻越後につくらせたものが、京都粟田口の良恩寺に伝わっています。彼はもと北面の武士で、田中兵部大輔といきましました。