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鶴田 純久の章 お話

畠山記念館
高さ:7.6~8.7cm
口径:11.1~13.9cm
高台外径:6.2cm
同高さ:2.0cm
わが国で、呉須と呼んでいる、中国の焼き物があります。呉須は呉洲とも書き、呉須赤絵は遺品も多いですので、茶人や愛陶家の間では、有名です。
明末に福建省竜渓県の石礪窯で作られたものとされていますが、欧米ではこれをSwatou Wareと呼んでいる。
呉須で多いのは、呉須赤絵、もしくは赤絵呉須と呼んでいる、赤・緑・黄・紫・黒などの七絵の具で、自由奔放な絵ををきなぐった大皿、錐、載の類です。明末に、輸出貿易品として量産したらしく、わが国をはじめ、フィリピン、東南アジア各地に、おびただしい数の遺品があり、遠くエジプトのフォスタ。卜の遺跡からも、発見されています。しかし中国に伝世したものは、かつて見たことがなく、また中国各地の博物館には、呉須赤絵が一点も陳列されていないことは、中国にはほとんど遺品がないためか、また仮にあっても、その価値を全く認めていないためでしょう。
石礪窯では呉須赤絵のほか、藍呉須と呼んでいる染め付け、瑠璃呉須と呼んでいる、藍色の釉薬を全面にかけたもの、聯呉須と呼んでいる、茶かっ色の釉薬のかかったもの、白呉須と呼んでいる、白無地の白磁、そのほか青磁も作っています。素地ぱすべて磁質で、砂高台といって、底に、いずれも砂の焼きついているのが、この窯の特色です。
呉須赤絵や藍呉須の大部分は、輸出向けの雑器として量産されたものですが、藍呉須には明末の天啓か崇禎ごろ、日本から注文して、茶器として作らせたと思われるものがあります。胴に山水図を描いたこの茶碗は、その一例で、類品のきわめて少ないものです。呉須の菱馬と呼んでいる菱形の杉煎で、胴に馬を描いたものもその一例ですが、これも類品の、きわめて少ないものです。
古染め付けや祥瑞を作った景徳鎮と違い、石礪窯は福建の耐かで、日本との関係も希薄だったのか、呉須手で日本からの注文品と思われるものは、遺品がきわめて少ないです。また、今日わが国だけにまれにあって、世界のどこにもない、珍しい焼き物だといえましょう。
胴に簡素な山水図を描いた、藍呉須のこの茶碗は、素地は呉須特有のくすんだ磁胎で、これにぬるっとした感じの透明性の白磁が、全面に比較的厚くかかり、釉下に、巍々とした遠山を骨法で描き、人物、樹林、寺らしいものを、これに配してあります。形は、口がわずかに端反りとなり、胴をひずませ、福建省独特の、高い大きい高台がついています。畳つきに砂の焼きついているのは、呉須手の特徴で、内面と底裏は白無地です。
山水図を描いた呉須は、土青と呼んでいる、中国産の青料を用い、爽雑物が多いため、どんよりとした藍色をし、鉄分のため、黒かっ色を呈しているところもあります。しかし藍呉須の魅力は、下手のところにあり、何よりも骨法で描いた、巍々とした遠山が、この茶碗の魅力でしょう。
(小山冨士夫)

呉須 山水 文茶碗

中国南部、呉州石礪窯でつくられた染付・赤絵などを呉須(呉州)と呼んだことから、染付そのものを呉須と呼び、染付の原料のことまで呉須といったりしますので、呉須ということばの範喘は複雑です。
「茶」の世界でいう中国製の呉須とは、石礪窯製のものではなく、いまだにその製作地は不明です。
細いマジックペンで描いたような筆行きと、やや暗い染付の色が特色で、江戸初期の腸洒な好みを示しています。
したがって日本からの注文品と考えられ、茶碗のほかには八角・十二角などの器形をもつ水指があります。
《寸法》高さ7.8~8.2 口径11.1~13.8 高台径6.2 同高さ1.9 重さ315
《所蔵》畠山記念館

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