萩焼は、文禄・慶長の役(1592-8)に、毛利輝元に付き随って渡来した朝鮮の陶工李敬によって創始されたやきもので、今日遺存する作品の大部分は、茶陶です。窯址発掘のされないまま、この伝統ある茶陶の発展は未解明の部分が多かったですが、最近、古窯址の発掘も行われて、徐々にその姿が明らかになりつつあります。初期の萩茶碗は、いわゆる高麗茶碗の写しで、井戸タイプのものと考えられますが、この紅萩茶碗は筒形で、和風化されています。土はおそらく大道上が主で、ざっくりしています。萩釉の紅い発色が美しく、萩茶碗の柔らかく、暖かい特色を十分にみせてくれます。《寸法》高さ8.7 口径12.4